先日、大学の同級生から久しぶりになメールが届いた。
「○○ちゃん(女性の同級生)が結婚するので、私達の学年でお金を出し合ってプレゼントをしたい。予算は○○円の予定で詳細は追って連絡する」という内容であった。
これは世間ではとても素敵なメールなのではないかと思う。
しかし、私は少しだけ疑問を感じてしまう人間なのだ。
「お世話になった先生にお花をプレゼントしましょう」
「卒業する先輩に先輩に寄せ書きを贈ろう」
こういったことは人生の節目節目で何度も経験してきたし、協力もしてきた。
私も頂いたことがあるし、嬉しかった。
しかし、少しだけ私は腑に落ちていないのである。
というか、少し「引いてしまう」自分がいるのかも知れない。
こういう不測の事態に驚いてしまうのだ。
「いつ決まったんだ?」という疑問と「こんな時だけ友達になって金を毟るのか?」という疑念に頭を抱えるのである。
当然、温度差がある。
本当にプレゼントしたい人と、仕方なくプレゼントさせられてる人が居るのだから。
私への寄せ書きは「こいつに何書けばいいかわかんないよ。とりあえずでかい字で誤魔化しておくか」とかそういう会話の後に贈られたのではないかと思ってしまう。
書くことが無いにも関わらず、時間を割いてもらったその作品を貰えるだけで有難いのだけれど。
私の様な卑屈な人間はこんな素敵なメールに色々考えて怯えてしまうのだ。
そして、その素敵なメールの送り主が自分でないことが少しだけ悲しいのだ。
新年度に突入したことだし、人間不信は卒業したいと思う。
御機嫌よう。