妻がいなくなったのと入れ替わるように、
隣家に子どもが生まれました。
付き合いもないし名前もはっきり知らない家ですが、
いつも元気な泣き声が聞こえてきます。
もしかしたら、どこかで何かが違っていたら、
うちにも響いていたかもしれないその泣き声。
妻が出て行き、
物音もなく静まり返った部屋でうずくまり
ほしくてたまらなかった赤ちゃんの泣き声を
ひとり壁越しに聞かされるのは、
僕が犯した罪に対する罰なのだと思います。
僕は他の人のブログはそんなに見ないのですが、
読者登録をさせてもらっているブログが少しだけあって、
そのうちのひとつのブログ主さんは
不妊治療を終える決断をされようとしています。
これからの生き方について、前向きに書かれてもいます。
でも、生意気ながら僕にはわかる気がします。
気持ちの整理なんかまるでついていないことが。
無念さや、やり切れなさが、行間に滲んでいることが。
そしてそれらを全部抱えた上で、
(装ってでも)前向きになるしかないその心情が。
子どもがほしかったという強い気持ち。
小さくなることはあっても、
消えてなくなることはありません。