新しい部屋にはもう慣れました、と言いたいところですが、
10年以上暮らした部屋で染み付いた習慣が時折顔を出し、
誰も見ていないのに誰かに見られたときのような苦笑が漏れます。
引越した場所は第五希望くらいの街で、
選んだ部屋が駅にべらぼうに近い以外は美味しいパン屋もカレー屋もなく、
前の街で重宝したドン・キホーテのような大きい店もなく、
飲み会で泥酔した帰りに小腹を満たすようなちょっとした店もない、
昔住んでいたことのある街です。
今月になり、半年ほど音沙汰のなかった知人の女性から、
出産したと連絡をもらいました。
彼女とは数える程度しか会ったことがなく、今後も会う機会はまずありませんが、
僕は勝手に友人だと思っているので
連絡をもらえたこと、42歳で無事出産したことをとてもうれしく思いました。
不妊治療の只中には、人のおめでたを喜ぶ気持ちになれず、
その種類のニュースを聞いてもただただ心が沈むばかりでした。
そんな僕が彼女に心からの祝福をすることができたのは、
自分がもはや不妊治療の当事者ではなくなったからであって、
それは何だか寂しいことであるのかもしれませんが、
子どものことが、日々浮かんでは消える心の泡立ちのひとつに過ぎなくなったのは、
すこやかに生きていくにはきっと良いことなのでしょう。
睡眠薬がなくなりそうでしたが、
とりあえずいまは処方してもらわなくても大丈夫だと思っています。
マッチングアプリにも登録してみました(元妻にはもちろん伏せています)。
マッチングした女性と会ってみたこともありますが、
自分がいいなと思い、相手からもそう思われ、結婚するほど互いに気持ちが高まる、
ということは、奇跡的なことだったんだなあと思わされるばかりです。