コメントくださった皆さま、ありがとうございました。

やさしいコメントも厳しいコメントも、すべてがありがたく感じています。

 

拒絶されても義父母に会いに行きたいと望むのは、

まず前提として「会いたくない」というのが本心とは思えなかったからです。

心底会いたくないというのが義母の本音ならば、

それを無視してまで押しかけようなどと思ってはいません。

 

折衷案として手紙を送るということは念頭にありました。

現状だとあちらの親族も諦め気味で

会いに行くのは難しいかなと思うので、

状況が変わらない限りは手紙になるかなあといったところです。

 

 

コメントくださった方へ返信を書いてみたら、

長くなってしまったのでこちらでお返事させていただきました。

 

>通りすがりの45歳さん

経験者の方のお話はリアルに響きますね。

完全アウェイとなった、かつての義実家に上がるのは勇気がいったと思います。

それでも手を合わせたかった義祖母さん。

僕にとって義母もそういう存在です。

 

>まきさん

離婚が決まって、義母の気持ちも急速に冷えたのかもしれません。

だとすればアクションなど起こらないでしょうから、

やはりそれまでかなあ、と思いました。

 

>通りすがりの一意見さん

まず、こんなしょうもないブログのために時間を割いて

これだけの長文を寄せていただいたことに感謝いたします。

 

どこかのエントリーで書いたことがあるのですが、

どうにもならないことを誰かのせいにするのはとてもつらいことで、

自分に非があると思う方がまだ救いがある。

実際の責任の所在やその按分は別として、

そう考えることで自己の精神を防衛してきたように思います。

 

いまでも子どもがほしいのかどうか、自分でももうわかりません。

子どもを持たないことで自分への報いとしたい気持ちもありますし、

自分のような人間が人の親になってよいのだろうかとも思います。

 

義母が世間体を気にするタイプかどうかはわかりませんが、

「出戻りの娘を引き取った」ことで僕を大切にしてくれたというご指摘は

ほとんど当たっていると思います。

 

コメントを最初に読ませていただいたときは昼休み中だったのですが、

読むたびに涙がこぼれて参りました。周りに誰もいなくてよかった。。

 

>揺蕩さん

喜べるでしょうか。。

お子さまがいる方のご意見ですし、僕もそう思いたいです。

 

>lufugogoさん

言うべきことを言えなかったことが元凶でした。

妻には、どれだけ伝わったかわかりませんが

僕が負ったトラウマや孤独感は一応話しました。

義母に会うにしろ手紙を送るにしろ、子どものことに触れるつもりはなく、

伝えたいのはただ感謝のみです。

入籍当初は早く子どもを作るよう妻に言っていたこともあるようですし、

話せば妻が責められるのは明白で、両者の関係修復を望む僕が

敢えて火種を残すようなことはしたくないと思っています。

 

>通りすがりさん

離婚が決まって、義母の支持する対象が僕から妻にシフトしたのかもしれませんね。

そうであれば義母と妻との仲を心配する必要もなく

結果的に僕の望む形になりますが、妻の最初の離婚の際も相当責められたようなので

(それが妻側の不仲の遠因のようです)今回も妻の肩を持つかどうか・・・

 

>みすずさん

義父母に会いに行くのは罪というご認識ということですね。

序文に書いたとおり、義母の本当の意向を無視してまで

押しかけるつもりなどありませんが、

会いに行くことを罪と呼ばれるとは想像しませんでした。

 

暗がりを手さぐりで歩むような不妊治療のさなか、

できるかどうかさえわからない子どもの独り立ちまでをイメージしなくてはならない

と言われるのであれば、僕にそのビジョンはまるで備わっておらず、

やはりそもそも人の親になる資格などなかったのかもしれません。

 

夫婦ではあるけれど、一緒に笑って暮らしてはいたけれども、

僕と妻は違う場所に立っているとずっと感じてきました。

それは僕が子どもを望んだからであり、妻の視線は娘へ向いていたからです。

ふたりの子どもを持つことは僕にとって、

妻と同じ場所に立ち、妻と同じものを見るという意味で、

ゴールでありスタートでもありました。