癌の余命宣告ではしばしば聞く話ですが、
余命3か月と言われてからもう何年も経ちました。
父はどうにかいまも健在です。
父の病を契機に僕たちは不妊治療を始めましたが、
セミナーで確率的には相当厳しいと知ったので、
ぬか喜びさせないよう父には不妊治療のことは伏せました。
しかしいま思えば、
僕らが子どもをもうけるための手段を講じていたことは、
父に知っていてもらってもよかったかなと感じます。
本当に3か月の余命だったならば、
孫ができるかもしれない、という希望を抱いて
闘病する方がよかったのではないか。
命尽きるとき、祖父から受け継ぎ、大切に守ってきた「家」が
絶えないかもしれない、と思えた方がよかったのではないか。
僕は両親に対し子どもを持つ意思があるのかどうか
ずっと曖昧にし続けてきました。
妻と話ができない限り、そうせざるを得なかったからです。
両親は僕がどう思っているのか、知りたかったはずだと思います。
とはいえ現状が現状、父は長いことがんばっていますし、
僕らは不妊治療を終えてしまいました。
周り周ってこれでよかったという結果になってしまい、
自らの至らなさを思い唇を噛むばかりです。