もちろん強い罪悪感はありましたが、
Fと深い仲になってから、心はずいぶん安定しました。
それは、こう思うことができるようになったからです。
「子ができないのは自分の責任」
僕はやはり心の底では、
子ができない原因は妻にあると思っていました。
思っていたというか、少なくとも医学的な面では
クリニックでも証明されてしまった揺るぎない事実だと思います。
しかし、Fという存在の出現によって、
僕はそれを人のせいではなくて
自分のせいにすることができるようになりました。
「子がほしいなら妻と別れてFと一緒になればいい。
それを選ばないのだから自分のせい」
また、こうも思いました。
「こんな悪いことをしているのだから不妊治療など不首尾で当然」
いま思えば、我ながら妻に対してもFに対しても
不実な考えではありますが、
不妊治療は年を追うごとに難しくなる一方であり、
仮に出産が叶ったとしても
不自由なく育てられるか自信が持てないほどのお金を失い、
父もいつまで生きられるかわからず、
様々な不安に追い立てられ孤立していた当時の僕には
こうすることしかできなかった。
どうにもならないことを、人のせいにするのはとてもつらいことで
御託を並べて自分を欺き、自分のせいにすることによって
精神の安定を図り、かりそめの平穏を得ました。
人には非難されると思いますが、
Fと一緒にいる間だけは、自分を取り巻く様々な不安や
妻に対するどこか仄暗い感情を忘れることができたのです。