夫婦で何年も過ごしていると、共通の友人も増えていきます。

 

そのなかには、僕らのように子どもを望んでいるけれど、

難しそうだと聞いていた夫婦も何組かありました。

 

ところがその友人たちが相次いでおめでたとなった時期があり、

このニュースを聞いて友人の幸せを喜んであげられない

自分の心根の貧しさに気付き、それはひどく落ち込みました。

 

それだけでなく、こう思いました。

 

「僕らだけ」子どもがいないのではなく「僕にだけ」子どもがいない。

 

妻とさえ共有することのできない、底しれない孤独。

このときはもうおそらく、心の闇に飲み込まれつつありました。

 

その後無事に生まれた友人の子に会いにも行きました。

元気に泣く赤ちゃんを見て、

自分もこんなふうに泣けたなら気持ちも晴れるだろうか、と

ぼんやり考えました。