金 完燮
金 完燮 (キム ワンソプ)
1963年、金羅南道光州生まれ。82年、ソウル大学物理学部に進学して天文学を専攻。
「国家遺功者」として表彰されたことのあるスジ金入りの「反日」運動家であった。
2002年に刊行した「親日派のための弁明」は日本でも翻訳出版された。
この本は、韓国政府より青少年有害図書に指定され事実上の発禁処分を受けた。
「親日派のための弁明」は、2002年の発行当時随分と話題になった。
私も早速読んだが、「目からウロコが落ちた」どころか、全く思いもしなかった視点で
日本の立場を論じているのに驚愕した覚えがある。
この金氏がその後、2003年11月に小学館から、日韓「禁断の歴史」を刊行している。
この「まえがき」で金氏は、
「何の警護もなしにソウルの街を闊歩し人と会っている現状は、昨年の今頃から考
えても想像しがたいことです」
と、述べている。
韓国も変わってきたのだ。
変わらないのは日本の方だ。
相変わらず、無関心。
竹島の領有権問題で韓国国民が騒ごうが、歴史認識問題で抗議されようがまるで
「どこ吹く風」程度の関心でしかない。
本来、日韓はもっと親密にならねばならない。
親密になるには、もっと本音で持論をぶつけ合わねばならない。
双方、真剣勝負の議論の末に真の友情が芽生える。
金氏は真剣に日韓の将来を憂いている。
日本人は、韓国の叫びにガチンコ勝負で向き合わねば失礼である。
小学館、日韓「禁断の歴史」金 完燮 著 P.109~P.115
------------------日韓「禁断の歴史」引用開始-------------------------
独立記念館で目撃した「反日洗脳」現場
首都ソウルから車で約-時問半のところに天安という都市がある。その天安市の緑豊かな場所に独立記念館がある。この記念館は、1982年の日韓の政治的懸案にまでなった弟一次教科問題が発端となって全斗煥大統領(当時)が韓国民からの募金で建設した博物館である。日本の侵略行為を永遠に記憶しようという意図による。先日、この独立記念館を訪れた。
敷地に足を踏み入れると、入り口から展示館までは相当の距離があるのだが、沿道の両脇には無数の太極旗(韓国の国旗)が並ぶ。建物からは見学に来ていた小学生が溢れていた。課外授業一環として先生に連れてこられた様子である。館内のあちこちで輪になって先生を囲み、説明を聞いていた。ノートをとる子供、はしゃぐ子供、居眠りをしている子供など、まさに純真無垢であどけない児童たちだった。
ある先生の話に耳を傾けてみた。その先生は子供たちに向かって抑制的な口調であったが雄弁に日本の蛮行を羅列し説明を始めた。
教師 「1919年、3・1運動で無数の韓国人が虐殺され拷問されました。この他にも私たちの祖先は日本人に苦しめられ、たくさんのひどい目に遭いました」
児童 「日本野郎は本当に腹が立つ。許せない」
このような問答が複数回続いた。子供たちの頭はもはや「反日」でいっぱいである。
こうした憎悠の対象を作り出す教育を韓岡は戦後延々と続けてきたのである。反日のためになされる、歴史的事実の歪曲・捏造はあまリにも多すぎるため、こちらが逐一指摘してもきりがない。日本統治時代の歴史的事実に関しては真実より捏造の方が圧倒しているのである。
李朝や清への抵抗も抗日闘争にすり替える“病的な慣習”
韓国全土からやってくる子供たちが見学する独立記念館の展示内容とはどのようなものなのか。端的に言えば「日帝蛮行博物館」である。これでもかこれでもかと日本の犯した残虐行為を様々な手法を使って見せつける博物館である。しかしその多くが捏造されたものである。
中略
反日教育という愚民化政策が韓国人自身を蝕んでいる
以上紹介したのは反日教育のごく一部だが、このような悪質な歴史的事実の捏造によって日本のイメージは著しく傷つけられている。日本国民は一丸となって公式に独立記念館の展示内容に断固抗議すべきだ。
同時にそれは韓同の国民の目を覚ます絶好の機会となるはずだ。ありもしないことをでっち上げ、歴史的事実を歪曲し、歴史的事件・施設に恣意的な解説をつけて反日意識を頭に植えつけることは、韓国国民が自らを愚民化していることに他ならないからだ。また、苦難に耐えながら日本と共にあの戦争を戦った韓国人自身の先祖にも失礼である。
------------------日韓「禁断の歴史」引用以上-------------------------
日韓が協力することで、1+1=2 以上の力になる。
本来、日本はFTAの相手国として、イの一番に韓国を選ぶべきなのだ。
日韓の意思疎通が図られ、共通の利害で対北との交渉に当たれば難局打開の
可能性は高まる。
日本が遠慮や、反省ばかりしていては次の一歩に踏み込めない。
一度、本音をぶつけて血みどろになるべきだ。
そこまでしなければ、日本も韓国も危ない。
危機は目前に迫っている。