呉 善花 | 勝利の法則

呉 善花

呉 善花(お・そんふぁ)
1956年韓国済州島生まれ。大邱大学卒業。4年の軍隊生活を終えて
病院に勤務した後、1983年に渡日。大東文化大学の留学生となる。
現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授。


呉氏の処女作(多分)である「スカートの風」を読んだ時の衝撃
は忘れることができない。
豊かな感受性と怜悧な知性を併せ持った人物だ。と、舌を巻いた。

一気に読み切った覚えがある。呉氏は韓国内では、多分「売国奴」

扱いではないのだろうか?
しかし私は、「この人物は自分の祖国である韓国を心から愛して
いる」と確信できる。

ヒステリックに反日を叫ぶ輩と、どちらが国の為になっているか

は明らかだ。


今のままでは、日本人と韓国人は双方が不幸になる。
反日の嵐が吹き荒れる今こそ、日本の政治家は毅然とした態度

で韓国人と対等な外交交渉をせねばならない。

そして日韓協力して、明るい未来を切り開かねばならない。

それが出来なければ、呉氏を始めとした勇気のある韓国人の努

力が何もならなくなる。


「スカートの風」1990年三交社より初版発行、P.191~P.192
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日本人の友だちの家に遊びに行ったときの話である。紹介された
ご主人は有名な家電販売会社にお勤めだとのこと。ちょうどその
とき、その会社のある商品が爆発的に売れていたので、私は「ず
いぶん業績を挙げていらっしゃるのでしょうね」と、まあ日本的
な挨拶のつもりで言葉をかけた。すると彼は、「確かに売れてま
す。でも、まだまだ営業部門が弱くて、もっとお客さんのサーピ
スに力を入れないと、すぐに抜かれてしまいますよ」と笑いなが
ら言う。特にどうということもない会話だが、韓国人の男には
「女の私に」こんな言い方をする人はまずいない。


日本的なお世辞と謙遜の交流には違いないが、謙遜が単なる自己
卑下ではなく、自然な反省として伝わってくることがほとんどで
ある。


太平洋戦争の話をすれぱ、日本人からは反省の言葉がまず口をつ
いて出る。韓国人はそれを聞きながら、当然とばかりにうなづく
のだが、自らの側の反省をいっこうにしようとはしない。すべて
が日本の貢任であり、自分たちは被害者だというお決まりのパタ
ーンなのだ。なぜ自分たちは植民地支配を許してしまったのか、
許してしまった自分たちの側の弱点は何だったのかと反省する姿
勢は、教科書にもまったく見ることができない。


日本人は南北分断を自らの責任であるかのように言い、歴史的な
過ちを深く反省する姿勢を隠さない。それでもなお、日本国内に
は「反省が足りない」の声の絶えることがない。しかし、いかに
米ソの軍事制圧下にあったとは言え、私たちが銃をとって同じ民
族どうしで殺し合いをしたことは隠すことのできない事実である。
なぜひとつになって「非戦」の姿勢をとることができなかったの
か--この反省ももちろん行なわれた試しがない。


インドやインドネシアの独立が、西欧列強のアジア支配に対する
日本のアジア進出を契機にもたらされたことは、まぎれもない世
界史的な事実であるのに、日本人は決して日本が独立に貢献した
と語ろうとはしない。太平洋戦争はすべて日本が悪かった--


日本人はこの姿勢をずっと取り続けようとしている。なんとお人
よしの民族かと思わずにはいられないが、こうした反省的な思考
が、結局はいま、日本に勝利を収めさせていることに、韓国人は
気づかなくてはならないだろう。
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