関東軍と言えば、石原莞爾
 石原莞爾と言えば、関東軍

 

  石原莞爾 (1889年~1949年)
 陸軍最高の天才と称される作戦参謀。
 ドイツ留学時に戦争史学を研究し
 『世界最終戦論』を構策。


 満州制圧を計画した彼は

板垣征四郎と共に関東軍を指揮した。


建国の立役者であったが
軍務で滞在した期間は延べ5年と短い。

「天皇よりも日蓮が偉い」と豪語する

日蓮宗教徒であった。


  世界最終戦論に影響を受けた

軍人も多いと聞く。

 

 1931年、満州事変勃発。

 張学良は20万人以上の東北軍を
率いたとされる。

関東軍は1万人と数千人で
20倍以上の張学良軍を撤退させた。

 先導した石原莞爾の実力が浮かぶ。
少数の兵で広大な満州を即時に
攻略できた見事な戦略と
天才的な戦術は後に語り継がれる事に。


 当時、陸軍の組織内にも派閥があり
とりわけエリート将校が集う、一夕会
石原も所属していた。

 一夕会の改革理念として
 ①満州方面に我が国の味方となる

  勢力を樹立させる
 ②満州の利権を確保する
 ③ソ連からの侵攻を妨げる防衛線にする


 このような軍的な思考が、満州事変へと
結びついた遠因であるのかもしれない。

 
 

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 今岡豊(陸軍大佐)によると
石原は最終的に日米戦争が起こると
予言した。

東洋と西洋の対決になると
その為には東亜連盟が必要だと
説いた、という。

 

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関東軍司令部・旧跡

 

 石原莞爾は、東條英機との対立により
やがて軍人から身を引くことになるのだが
原因は中国問題で衝突したとされる。

 彼は東條を軽蔑した。
東條は石原を、敵視したようだ。


 石原は中国との戦争には否定派であった。
仮に米国と事を構えた場合
中国の資源が必須だと認識していたからだ。

 満州国があれば
西洋の国々に応戦できるとの戦略があった。

中国との同盟を望んでいたことは
想像がつく。


 軍事思想の概念から
アジア主義の立場を主張する者も大勢いた。

『世界最終戦争』の論を
根源にもつ石原の思想は
アジア主義と相通した趣がある。
 
事実、アジア諸国は近代の世にあっても
欧米の奴隷化国であったし
眠れぬ獅子・清も、アヘンで骨抜きにされた。そのような時代であった。 

 

 

 

    石原が描いた思想 

     

日本・アジア諸国 VS アメリカ・欧米

    東洋地域 VS 西洋陣営

    最終戦争に勝利した日本が
   世界の平和統一を成し遂げる

  

 


 まもなく日本は、対米戦争をむかえる。

広大な中国を敵にしながら。