人は自分にとって不都合なことや望ましくない経験をすると、その出来事は過大解釈(過大評価)してすり込まれます。


 そのため認知症の症状がある人が起こした行動上の問題などは特に主観的解釈となりやすいです。


 わたしが相談依頼を受ける、家族や介護に従事する専門職(以下、介護者)から行動上の問題について状況を伺うと「頻繁に物盗られ妄想があるんです」「よく徘徊して警察に保護されるんです」「ちょっと気に入らないことがあるとすぐに暴力を振るうんですよ。この前も殴られました」「夕方になるといつも情緒不安定になって『帰る』と騒ぎだすんです」


「いつも」「すぐに」「最近」「よく」・・・と訴えられます。 


しかし、Qセラピスト:「頻繁にということですが、どれぐらいの頻度ですか?」A介護者:「頻繁よ」、Qセラピスト:「よく徘徊されるとのことですが、いつ頃徘徊して警察に保護されましたか?」A介護者:「半年前だったかしら」、Qセラピスト:「この前暴力を振るわれたのはいつですか?」A介護者:「この前よ。いつも叩かれるのよ」、Qセラピスト:「いつもと言うことですが毎日ということですか? 」A介護者:「毎日じゃないわ。たまによ」と客観的な回答はなかなか得られないことが多いです。 


「どのような時に?」「何をしているときに?」「記録はとられていますか?」と伺うと、ほとんどの介護者が「記録はとっていません」「そなんのいちいちやっていられない」と答えます。 

※家族が記録は負担と言うのはわかるのですが、専門職の方も以外と記録を残していない事案が多いです。


確かに行動上の問題がある。またはあったのは疑いようのない「事実」です。


ところが、認知症の症状がある人の介護に携わっている人の多くは、自身が経験した行動上の問題の出来事に主観的解釈が入り混じって過大解釈(過大評価)されて、「わたしが捉える行動上の問題は嘘偽りのないもの」=わたしの「真実」として解釈しているのです。 


介護者が経験される行動上の問題には主観的解釈が入り混じった「真実」として認識されて、行動上の問題の生起頻度や内容の「事実」が週や月に数回、時には1年以上前の出来事を、ことさら現今起きているかのように自分の「意見(その人の思うところ)」となり、その意見を周囲の人が聞いて信じ込むことで、実際に起きた行動上の問題の真相は次第に力を持って「揺るがぬ真実(事実以上に過大解釈されたもの)」に造られてしまうのです。


介護者の相談を受ける人が気を付けなくてはいけないことは、介護者から語られる行動上の問題は「その人にとっての『真実』となる」可能性もあり、「意見」となると尾ひれが付きすぎたり、「事実」と相当乖離している可能性が高い事を認識しながら、話を傾聴して物事を判断していきましょう。 


「それは客観的な事実なのか?」「それは主観的な意見(真実)なのか?」を分けずに話しをしても、感情論になったり、間違った判断をしてしまうだけです。


間違った判断で行動上の問題の解決に介入すればかえって問題を大きくしてしまう可能性があります。 


そもそも、介護者は認知症の症状を抱える人の行動上の問題などを客観的に見ることが難しいのです。 


「事実」は常に一つです。


行動上の問題を誰が見ても明らかにするためには行動を測定する「物差し」として重要となるのが、やはり記録です。