先日、人を待っていて気がついた。

私は待つ、という行為が、好きではないらしい
いやむしろ、
大嫌いなのではないか、
と思うくらい、
落ち着かないことが多い。


『誰だよそんな滅茶苦茶なことを
言うのは!?』と、

もう一人の私(頭の中の観察者)が
あきれ返るくらい

疑心暗鬼の塊のような台詞が
頭の中に
現実と関係無く
あぶくのように浮かんでは消え
消えては浮かびするのだ。


曰く、

「嫌われてるから嫌がらせで
待たされるんだよ!」

「今頃さんざん悪口を言われてるよ!」

「いつまで待っても来やしないよ!忘れられてるのさ!」

「だあれもおまえを好きじゃない、居なくなっても誰も困らない!

、、、、いやはや、 
こんな自己不振と人間不振の
かたまりのような人格が、 
私のなかに居るのか!!!!

明らかに病的、
いやもはや、
病気そのものではないか!

いくら実情と関係ない悪口雑言でも
内側から響くのは
とても嫌な感じがするものだ。
(もちろん、外からだって嫌ですがー)

こんなときは
セルフワーク!

おーーい、そこの
ブツブツ呟いてる
君!そう、君だよ!!

振り向いたのは
中年のおじさんではなく、
(この、脈絡の無さは父かもと思っていたんだけど)

なんと、
小学校低学年くらいの
女の子。

ビーチサンダルに
ノースリーブの
ワンピース着て
絵筆を握っている。

ちょっと涙目。
 
ん?どうしたの?
何か悲しかった?

「動物園はもう閉まるのに
ママが帰ってこなかったの!

待ってなさいって言うから待ってたのに。
動物園のおじさんたちも
もう帰りなさいって言うけど
でも、、」

待ってろって言われたから
動かなかったんだねー。

「うん。
それなのに、
遅れてきたママが
閉園なのに出てこなかった私が悪いって!
たくさん怒られたの。」
涙、なみだ、涙ー。
、、、、
思い出したー!
あったわー、こんなこと!

夏休みは毎年
2~3日は
動物画コンクールに
出すための絵を
描くために
動物園通いして

低学年の頃は
母に送り迎えして
もらってたんだった。

母も自覚のない
ADHD なもので、
多分、時間を忘れて
何かに夢中になってたり

用事が長引いたりして
時間通りに
迎えに来れないことが
あったんだなあ、きっと。

で、そんなときの
待ち合わせを
設定しておく
段取りも苦手なんだよねー
親子揃って。

あの頃は
携帯電話なんて
高級車の特注でしか
無かったしねー。

で、今になって思えば
母も大慌てで
混乱してて

とりあえず
子供を叱りつけてみたんだね、
きっと!

私が8歳くらいだと、
母はまだ30代半ば。

今の私より
20も若い!

あーー、それは
しょうがないかもねー。

『あのね、お嬢ちゃん、
お母さんはちょっと慌てていて
イライラしてたもんだから
心にもないことを
あなたにぶつけたかも
しれないね。
でも、発散すると
忘れるタイプだから、
あなたに言ったことの
半分も覚えてないと
思うのよー。
言ったこと全部が
本気なわけじゃあないんだよ。
だからね、
言われたことは
忘れてしまっても大丈夫。

お母さんが
あなたを心配してたって
ことだけ、
覚えてればいいのよ。

お母さんはあなたを大好きだから。』

「みんなが私を嫌いだって
言ってたよ?」

『それはね、
お母さんがあなたを待たせたのを
忘れてて、
嫌われるかもしれないって不安に
思ってるだけなの。
あなたのことじゃ無いのよ。
おうちに帰って
落ち着いたら、お母さんに
大好きだよって言ってみて。
おかあさん安心するからね。』

「ママ、私を嫌いじゃない?」

『大好きだよ!絶対!!
だからなるべく、
大好きって、伝えてあげてね。
それだけでお母さんは
嬉しくなるからね。』

「、、、ママが、
嬉しくなるんならやってみる。」

うんうん、
私も結構素直だったよね、
あの頃はー!

涙を拭いて、
ちょっとハグして、
さあ、
行っておいで!

大好きを、
伝えられれば
大丈夫!