将来の計画なんて、するだけ無駄だったらしい、、、予定では今ごろはこの世に居なかった私。 | 心と身体を繋ぐ月の錬金術・札幌山の手・宇宙の森 ADまあやの大冒険

温熱刺激療法を始めたときも、
療術免許をとると
決めたときも
免許を取ってからですら
これを仕事の一つに
しようなんて
夢にも思わなかった。
学んでおけば
きっと、ちょっとは
自分のからだと
家族や祖父母、父母の
役に立つだろうと
思っていただけ。
先輩方を差し置いて
他人様のお体に触れるなんて、そんな、
でしゃばった真似を、、、
してるんだなあ、今。

中高生の頃は、喘息が酷くて
24時間いつ大発作起こしても
おかしくないまま、
やれ、ソルフェージだヴァイオリンだ
ピアノだ公文のプリントだって、
いつ死んでも仕方ないなあこれはー、、
二十歳までもてばいいなあ、、、
きっと、死ねば楽になるよ、
なーーんて思っていたけど、、、
生きてて
良かった!!

