わたしが、わたしたちが、
あれから少しでも
良い方向へと
進んでいますように。

そして、
これからも、
進んでいけますように。

それぞれの一人分の
細やかなエネルギーに
わたしたち自身が絶望も過信も
することなく、
丁寧に生きていけますように。

いつか、遠くない未来に
撒き散らした毒を浄化して
活力に満ちたふるさとが
帰ってきますように。

黙祷を捧げます






あのとき、二日間、連絡がとれなくて手をこまねいているしかなかった
叔母も祖母もはとこたちもお陰さまで無事た。

その後祖母が老衰て、亡くなったときに、布団の上で、家族に看取られて死ぬことが、こんなに幸せなことなのかとおもいました。

今なお仮設住宅で孤独な生活を送る方々、他県に避難して不安な思いをする方々に、海外からも全国からも集まった志が、まっすぐに届くことを願ってやみません。

あの年の桜を見たくても見られなかった方々に代わって、たくさんのうつくしい花や景色を見て、出来ることをしながら生きていきたいと思います。