先回からの続き。
小さい頃怖かった、
大きなお座敷を
タイヤのように転がって
私を押し潰そうとする
巨大な五円玉!!!の夢。

セルフヒプノセラピーを
やってみてわかりました。
あの恐怖は
私の記憶では
無かった!
夢の中で
五円玉!!に追いかけられるのは、
あれは、
私ではなく
父!
小さい頃の父が
彼が育った岩手の
古いお屋敷の大きな広間で
何か大きな不安から
一生懸命逃げようとしている。
なぜそれが
五円玉なのかは
さておき、、、、、

父は事情あって
実の母(私の祖母)から
離されて
物質的には大変豊かに、
大地主の跡継ぎとして
大切に育てられ
小学校高学年になって、
一夜にして
貧しさのどん底に。
その後二年ほどは
実の父母のもとに
いましたが
中学からは
再び家を離れて
親戚の家で
育っています。
そうでなくても
発達障害傾向が
大きい人ですから、
この生い立ちで幸せに育つのは
難しかったのでしょう。

父の母である私の祖母は
優しくて忍耐強い人でしたが
父に関しては
「人様のご迷惑にならなければ御の字」
としか言わなかったそうです。
父の父(私の祖父)は
「占いに南の方角が良いと出ているから、うちに帰るのではなく、東京にでも出てはどうか?」
と、初めの会社をクビになった父に
勧めたとか。
長男で、
昭和20年代に、そこまで親に
期待されない、、、!!
父からすれば、
見捨てられたような
ものだったかもしれません。
私が物心ついた頃には
父は実の親である祖父母と
必要最低限の言葉しか
かわしませんでした。

その結果なのか、
生来の気質のためか、
両方なのか、
父は私が生まれたときには
すでに
機嫌が悪いのが当たり前。
少しでも気に入らなければ
誰が相手でも執拗に
怒鳴り散らすような
かなり性格に
問題がある、
家族でも近づきたいとは
思えない人でした。
アルコール中毒も
ひどい。
仕事も続かない。
たまに父とお出かけする時の
一番の心配事と、願いは
『周りの人に怒鳴ったり
嫌みを言ったりして、
みんなの気分を
悪くしませんように!』
外食していても
遊園地や観光地にいても、
氣が氣ではなかった。
なにしろ、
自分のことは棚にあげて
人の欠点や問題点を
指摘してあげる(!!)のが
自分の賢さの証明だと
本気で思っている人です。
『出来るだけ一緒に居たくない』
『早くお母さんが離婚して
くれないかな?』
『ああ、また、怒ってる。
いやだなあ、怖いなあ、、』
『帰ってきた!また何かしつこく
細かいことを注意されるんだ、
怒鳴られるかもしれない、
やだなあ、、、』
等々、本当に、
父が、嫌で重たくて。
父のあまりの重たさに
母の問題が見えないくらい
側にいるだけで
疲れていました。
100人居れば
99人から避けられるような
絵に描いたように見事な
嫌われる性格と行動。
だけど、それでも、
親は親。
エゴ丸出しで
我が儘で
自分が見えていなくて
社会に弾かれるのが
何故だかわからずに
もがきながら
子供の私と妹に
出来るだけのことを
してくれたんだなあ、
と、
今は思うのです。
それなのに、、、
好きにはなれないんだな、
私の心も狭いよなーーと、
少し諦めの気分で
いたんです、ずーーっと。
ヒプノセラピーと、
マインドブロックバスターの
ブロック解除を繰り返しながら、
色んなワークショップに
参加して、
トラウマの解除も
何度も繰り返して、
なんとか、二年間で
親の後始末は
長女の私がしなくてはならない、
という思い込みからは
解放され、
ただ、ただ、
寂しい人なのだと、
心底納得して、
気の毒には思っても、
どうにも
好きには
なれない。
そのことが、
後ろめたくて、
申し訳なくて。
そして多分、
父を好きになれないことが
自分自身を好きになれないことに
繋がっているんだろうとも
薄々、気がついてはいたのです。
続きます。

小さい頃怖かった、
大きなお座敷を
タイヤのように転がって
私を押し潰そうとする
巨大な五円玉!!!の夢。

セルフヒプノセラピーを
やってみてわかりました。
あの恐怖は
私の記憶では
無かった!
夢の中で
五円玉!!に追いかけられるのは、
あれは、
私ではなく
父!
小さい頃の父が
彼が育った岩手の
古いお屋敷の大きな広間で
何か大きな不安から
一生懸命逃げようとしている。
なぜそれが
五円玉なのかは
さておき、、、、、

父は事情あって
実の母(私の祖母)から
離されて
物質的には大変豊かに、
大地主の跡継ぎとして
大切に育てられ
小学校高学年になって、
一夜にして
貧しさのどん底に。
その後二年ほどは
実の父母のもとに
いましたが
中学からは
再び家を離れて
親戚の家で
育っています。
そうでなくても
発達障害傾向が
大きい人ですから、
この生い立ちで幸せに育つのは
難しかったのでしょう。

父の母である私の祖母は
優しくて忍耐強い人でしたが
父に関しては
「人様のご迷惑にならなければ御の字」
としか言わなかったそうです。
父の父(私の祖父)は
「占いに南の方角が良いと出ているから、うちに帰るのではなく、東京にでも出てはどうか?」
と、初めの会社をクビになった父に
勧めたとか。
長男で、
昭和20年代に、そこまで親に
期待されない、、、!!
父からすれば、
見捨てられたような
ものだったかもしれません。
私が物心ついた頃には
父は実の親である祖父母と
必要最低限の言葉しか
かわしませんでした。

その結果なのか、
生来の気質のためか、
両方なのか、
父は私が生まれたときには
すでに
機嫌が悪いのが当たり前。
少しでも気に入らなければ
誰が相手でも執拗に
怒鳴り散らすような
かなり性格に
問題がある、
家族でも近づきたいとは
思えない人でした。
アルコール中毒も
ひどい。
仕事も続かない。
たまに父とお出かけする時の
一番の心配事と、願いは
『周りの人に怒鳴ったり
嫌みを言ったりして、
みんなの気分を
悪くしませんように!』
外食していても
遊園地や観光地にいても、
氣が氣ではなかった。
なにしろ、
自分のことは棚にあげて
人の欠点や問題点を
指摘してあげる(!!)のが
自分の賢さの証明だと
本気で思っている人です。
『出来るだけ一緒に居たくない』
『早くお母さんが離婚して
くれないかな?』
『ああ、また、怒ってる。
いやだなあ、怖いなあ、、』
『帰ってきた!また何かしつこく
細かいことを注意されるんだ、
怒鳴られるかもしれない、
やだなあ、、、』
等々、本当に、
父が、嫌で重たくて。
父のあまりの重たさに
母の問題が見えないくらい
側にいるだけで
疲れていました。
100人居れば
99人から避けられるような
絵に描いたように見事な
嫌われる性格と行動。
だけど、それでも、
親は親。
エゴ丸出しで
我が儘で
自分が見えていなくて
社会に弾かれるのが
何故だかわからずに
もがきながら
子供の私と妹に
出来るだけのことを
してくれたんだなあ、
と、
今は思うのです。
それなのに、、、
好きにはなれないんだな、
私の心も狭いよなーーと、
少し諦めの気分で
いたんです、ずーーっと。
ヒプノセラピーと、
マインドブロックバスターの
ブロック解除を繰り返しながら、
色んなワークショップに
参加して、
トラウマの解除も
何度も繰り返して、
なんとか、二年間で
親の後始末は
長女の私がしなくてはならない、
という思い込みからは
解放され、
ただ、ただ、
寂しい人なのだと、
心底納得して、
気の毒には思っても、
どうにも
好きには
なれない。
そのことが、
後ろめたくて、
申し訳なくて。
そして多分、
父を好きになれないことが
自分自身を好きになれないことに
繋がっているんだろうとも
薄々、気がついてはいたのです。
続きます。
