もう、7年ほどになりますか。

近くの小学校の秋のお祭りで
車椅子体験会、という催事を
何人かの仲間と共に、
やらせていただいております。


きっかけは、
肢体不自由の
お子さんの介助を
何人かのボランティアで
やったこと。

今時の小学校や中学校では、
車椅子に限らず
普通学級で
不自由のある生徒を他の生徒が
補助することを
推奨しません。



階段しかない校舎で
車椅子が二階三階まで登るのを
助けるのも

手がうまく動かない子の
ノート書きの補助も

床にものを落としてしまった時の
助けも

食事に時間がかかるために
みんなより一足早く
給食準備室から
料理を運んでくるのも

全て介助専門の人の仕事。

もちろん、心ある先生が
一部してくださることが
ないわけではありませんが

とにかく、生徒には
一切、助けることを
させないのです。

親御さんから苦情がくるから、
というのが大きな理由です。



「他の生徒さんにご迷惑をかけるわけにはいかないんです。」

と、再三、言われ続けながら、
小学校四年生から中学校三年生までの六年間、

肢体は不自由でも頭脳に損傷はない
お子さんが普通学級に
通学するお手伝いをして

私たちは
社会生活をする
人々の頭のなかに、すでに、

いわゆる健常な人間と
そうでない人間の
住み分け体制が刷り込まれていることを

実感しました。

不自由な人間は
それ相当の施設にいるべきである、と。

そして、振り返ってみれば
老人介護も、
小さな子供たちの世話も
怪我人や病人の看護も

ほんのちょっとした手間が
固まりになって
大変な個人労働になっていることが
たくさんあるのでした。

結果として、
専門の施設が必要になったり
家族が仕事を辞めて
それだけに
向き合わなければならなくなったり。

人生のごく、当たり前のステップが
当たり前でない扱いをされているように
感じられます。

でも、もし、私たちが
普段から
目や耳やその他、
部分的に不自由がある人や
赤ちゃんや子供たちや
ご老人に
接していれば、

どうしてもお母さんで
なければならないことや、
専門家でなければ
できないことは

随分少ないということが
わかるのではないかと思うのです。

階段を登るのには5分。
食事の介助なら30分。
ひっくり返った車椅子を戻すのには3分。

足りないのは時間ではありません。

「そんな大変なことは自分には出来ない」
という、思い込みが
ちょっとした手助けを妨げるのです。

ヨーロッパの古い町並みを
バリアフリーにするからと、
建て直したり
作り直すなんてことは
しませんが、

車椅子の人は不自由してはいません。

階段の前にくれば
通りがかりの通行人が
階段を上がりさがりするのを
手伝うのは当たり前だから。

彼らはそれを親切とすら
思っていないのでしょう。

あたりまえのことをしているだけなんです。

建物や施設のバリアフリーよりも、
心のバリアフリーがあるほうが

お互いが自由に、気軽に
生きていけるのではないかと
私は思います。

車椅子体験は、
普段触れる機会がないものを、
気軽に触って使えるようにしてみよう、
というほんの小さな試みです。

「なんだ、こんなに簡単なことなのか」と、
若いうちから色々体験してもらうことは、

学習でも、社会生活でも、どんなことにも
大きな力になると思っています。

ここでお願いです。
今日10/4の昼12:30~16:30

札幌の西区方面に気軽に行けるし
時間も多少は融通がきくぞ、

と、言っていただける方!

どうか、この車椅子体験会をお手伝いくださいませ!
車椅子に乗ってみたい子供たちに比べて、補助できる大人の数が圧倒的に少ないのです。


お問い合わせは、
電話011-614-1236

ADまあやまで!!