今日、とある動画でこんな一文を見つけた…いや、二文か。
「どんな界隈も荒れる可能性を秘めている。」
「物事の印象というものは、良くも悪くも私達の行動で決まる。」
とある動画より引用
閲覧者諸君らは、趣味で人を差別したことはあるだろうか?
逆に、趣味による差別を受けたことはあるだろうか?
筆者としては、「趣味による差別」というものは未だに根強く感じている。
好きなゲームやアニメの話をすると
「もっとまともな話はできないのか」という人が近くにいるぐらいだ。
(尤も、その人もモンストにハマっていたりするんだが。)
一方で、筆者も過去、とある界隈を嫌悪していた時期があった。
名指しは避けておくが、簡単に言うと男性AV関連の界隈だ。
無関係の動画にそれ関連の語録をやたらめったら持ち込む輩が多く、
「害悪集団」とみなしていたこともあったぐらいだ。
さて、話を戻すが…その動画では、投稿者が特撮モノにハマったものの、
周囲の人に理解されず、自分の趣味の話を出すのがトラウマになったことがあったそうだ。
…後に理解してくれる人が現れ、トラウマを克服したものの、
コロナ禍の時期、自分がいた界隈の悪い部分…民度の低さを見て、
自身は純粋に楽しんでいた民でも、自己嫌悪に陥り、純粋に楽しめなくなったと言う。
…一応動画の続きとしては、別の界隈にハマり、民度も良いらしかったのだが、
でも、マイノリティー故にいつ打ち切られてもおかしくないジャンルだと聞かされていて…。
紆余曲折の末に自分の「好き」を動画にする活動を始めた。
とまあそんな感じの動画だったわけだが、この動画を見て感じたことはいっぱいある。
- 「好き」を全否定されたら、人は簡単に傷つき絶望する。
これはうちも常々警鐘を鳴らしたいことである。
今でもまだ、趣味による差別って結構見受けられる気がするからね。 - されど民度の良し悪しが、界隈の良し悪しを左右させることがある。
先述した通り、筆者が抱えていた「男性AVモノ界隈」への偏見がそうであったように、
民度の良し悪しが界隈の評価を左右させることがあるのも確かに頷ける。 - 界隈の民度の良し悪しによって、純粋なファンも純粋に楽しめなくなることもある。
これも実は筆者が経験したことである。
かつて友達だったVTuberの炎上騒動を見て、
一時期VTuber界隈が嫌いになりかけたことがあったほどである。
…今でも、あの子は「この世界」に頃された…そう思ってるぐらいには。
2と3に関しては改めて言わせてもらおう。
…筆者は、「5年前の惨劇」を忘れたわけではない。
…筆者は、「5年前の惨劇」を忘れたわけではない。
「もうVの話は一切聞きたくない」…その一言を最後に、
インターネットを断ってしまった「あの子」のことを忘れたわけではない。
「あの子」を、助けてあげられなかったことを忘れたわけではないのだ。
「あの子」を、助けてあげられなかったことを忘れたわけではないのだ。
「あの子」だけではない…もし自分が好きになって、仲良くなったVTuberが
誹謗中傷を苦に命を絶つ…そんな「最悪の結末」を迎えてしまったなら。
誹謗中傷を苦に命を絶つ…そんな「最悪の結末」を迎えてしまったなら。
おそらく筆者は、VTuberという世界を憎んだだろう。
閲覧者諸君は、そんな民度の悪さによって苦手意識を持ったものはないだろうか?
自身の行動が、自身の好きなものに対する苦手意識を他人に植え付けていないだろうか?
筆者もまた、それを自戒せねばならないのだろう。
自身の行動が、自身の好きなものに対する苦手意識を他人に植え付けていないだろうか?
筆者もまた、それを自戒せねばならないのだろう。
人の悪意と、暴走した正義は
どんな悪魔よりも面倒でたちが悪く、そして恐ろしいものなのだ。
どんな悪魔よりも面倒でたちが悪く、そして恐ろしいものなのだ。