昔…それこそ学生時代。自分は「ニートにはなりたくない」なんて宣っていたことがあった。
最初の職場で「3年と言わず、60まで辞めない」と決めていたことがあった。
だが、実際は…2年と2ヶ月、心労がたたって自●未遂したのが決定的になり、
「自己都合で辞めてください」という事実上のクビ宣言。
はからずも「3年以内に辞める若者」になって、まる一年路頭に迷っていた。
まあ、強いて言うなら当時はニートではなく、
ハローワークや障害者就労支援施設に通っていたので、「求職者」という方が正しいだろう。
…だが、今もなお【後遺症】は続いている。
時折、前職での光景がフラッシュバックを起こしている。
「新人より出来てない」「病気に逃げている」
「結果がなければ努力していると言わない、結果を出せと言っている」
「パワハラ?これが社会だよ。」
障害を持っていると言う身の程を知らないまま普通求人で入ったのがそもそもの失敗。
そう頭で割り切っていても、呪いのように頭に響く。
たとえ弱音を吐きたくなっても
「鬱は甘え」「甘えるな」「もっと悲惨な人がいるんだぞ」…と、いうのが社会らしい。
…ならないと見えないものは、身近にある。
甘え、努力不足、怠惰、怠け…切り捨てるのは簡単だ。
だが理不尽に晒され、ヒビが入った心というのは見えないものである。
…心は見えない。だから難しい。
だが、経験を経て見えるようになったからこそ、過去の愚かな自己を恥じ
そして、自身が受けた痛みを、自信よりもっと弱い人に向けないように。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」。
「自分が正しい」「正論だから間違っていない」「その人のため」
…それは結局、全否定してもいいと誤謬した傲慢でしかないのだ。
否定はその人を…そして、未来の自分を絶望に追い込んでいく。
…謙虚に生きていきたいものだ。