時折、人生に窮屈感を感じることがあったりする。
きっかけは様々だ。
ASDの自分と、普通の人との差を感じたとき。
表現規制の話が出ているとき。
自分の考えや好きなものを全否定されたとき。
「常識」「正義」「良識」と言った聞こえのいい言葉で、自分の意志を抑え込まれたとき。
…etc
真面目、普通、素直…そこに「自分」って有るのかな。
なんのために「自我」って有るんかなって、そういうときはよく考える。
そして、「これは本当に自分の人生なんだろうか」という疑念に襲われる。
「結局は、誰かの…いや、不特定多数のロボットでしかないのだろうか」と。
もしそうだとしたのなら、感情なんてない方がいい。
けど、今更そんなものを願ったってしょうがないのだ。
…だからせめて、これ以上世の中が窮屈にならないように
せめて自分は他の人を窮屈にしないように生きていたい。
それからだった。
他者を全否定する言葉を使わないように気をつけ始めたのは。
「間違ってる」とか「おかしい」とか、そういう言葉はあんまり使わない。
考えを持つのは自由でも、他者に押し付けようとするから窮屈になるからだ。
だから、自分のテリトリーを守ることはしても、
他のテリトリーには踏み込まないようにしないとな。
そんなことを、少し考える。
結局は「己の欲せざる所は人に施す勿れ」…それに尽きるのだろう。