アンドレア・シェニエの「祖国の敵」のジーノ・ベーキ(1913 - 1993)とピエロ・カップッシッリ(1926- 2005)の歌唱です。

 

ベーキのスタイルの源流を辿ればカルーゾのスタイルに繋がる様に感じます。私的に言えば歌声歌唱。俗っぽく言えばギラついたダミ声歌唱とも形容できます。

 

イタリアオペラ黎明期、オペラグラスで覗き込むほど離れたところで聴いていた大衆には受けたかも知れません。

 

【ジーノ・ベーキ】

 

しかし、如何せん・・・・・物足りません。

 

何が物足りないかと言うとオーケストラの前奏や乾燥に続き彼らの歌が始まると・・・・途端にテンションが下がるのです。

 

彼らは楽譜通りには歌ってます。りっぱな声で歌ていますが、歌い出すとオケと歌手のテンションのギャップが際立ちます。

 

音楽としては致命的です。多分トスカニーニも同じ違和感を感じていたはずです。(だからこそアウレリアーノ・ペルティレを重用したのです。)

 

そして、この黎明期においてもカルーゾルーツではないもう一つのスタンダードが生まれてきます。

 

ギラつくこれ見よがし歌唱ではなく、音楽的エスプレッシーヴォでドラマを表現する流れです。そしてこの100年余りの新しいスタンダードの流れはテナーで言えばペルティレ、コレッリ、デル・モナコ、ディ・ステファノ・ベルゴンツィそしてパヴァロッティのスタイルに繋がって行きます。

 

そして、バリトンで言えばカップッチッリの歌唱スタイルもこのスタンダードです。

 

最初から(大袈裟に)これ見よがしのダミ声は使いません。あくまでも役どころのジェラールの境地を楽しみながら、指揮者以上に(コンチェルトのチェリストの如く)音楽を牽引していきますね。

 

これ見よがしのギラついた演劇歌唱よりも、フレーズとフレーズをクラシック然として強烈なエスプレッシーヴォでリンクさせながら歌い上げていく、心の葛藤を強烈なヴァイヴレーションでアクートしていく。

 

これが、イタリア・オペラが辿り着いた声の芸術と言えます。これこそがイタリアの歌が世界遺産たる所以です。

 

ピエロ・カップッチッリ

 

【K-メソッド】はこっちを目指します♪