これはどちらも想いの裏付けもなく、発してしまう・・・安易さだといえます。

言い換えれば、外側から取り繕ってしまう現象です。両方とも・・・透けて見えます。

歌唱の場合、この無神経さがアクートも外側の声色から取り繕ってしまうのです。

歌い手が歌、声に託したい心の慟哭・歓喜・悲哀・・・そして音楽の高揚!

これがあって初めて・・・声帯・横隔膜・腹筋、その他諸々の発声器官が、アクートの発声を模索し、アクートへの「脳のシナプス」を形成しようとするのです。

そして、最終的に明確なアクートのイメージ・想いに従って・・・体中の発声器官が精密機械の如く瞬時に連携するのです。

要するに・・・

「歌い手が歌、声に託したい心の慟哭・歓喜・悲哀・・・そして音楽の高揚!」・・・ここが一番大切なのです。

ここを外して外側から取り繕おうとすると・・・アクートに必要な諸々の発声器官の部品ばかりが増え続け、意識的な微調整に明け暮れて・・・アクートはより難しいものになってしまいがちです。

天才歌手・・・所謂、イタリアオペラの巨星達の完璧なアクートの技術を裏付けたのは・・・

彼らの天性の歌の上手さ、歌唱の深さです!

それが証拠に・・・

一流と言われた歌手においても、アクートの芸術性・・・況や歌唱の芸術性と・・・歌手の存在感は比例しています。

そこを外して安易に歌ってしまうのが「喉声」であり、「作り声」であると言えます。


【K-メソッド】