ある意味、歌唱と水泳は非常に共通点があります。
泳ごうとすると水の抵抗を受けるように・・・
歌い始めると・・・厳密に言えば「音・音符」の一つ一つの繋がりの中に、水泳の水の抵抗と同じ様に・・・
歌の進行を邪魔して纏わりついてついて来るものがあります。
喉声です・・・つまりこの喉声は出した瞬間に歌唱の流れをとめてしまうのです。
言い換えれば・・・昔のマニュアル車で初心者がシフトチェンジの際に起こす「ノッキング」です。非常に不快に感じます。
そして歌の練習とは・・・ワンフレーズ歌うたびに纏わりついてくる喉声を外す作業です。喉声の抵抗を受けることなくフレーズをつなげていく作業です。
水泳における水の抵抗と同じ様に、先に歌い進もうとすると必ず生じてきます。水泳であればそれを極力回避しながら推進力を上げていくことが最終目的になります。
歌の場合も、その「喉声と言う抵抗」を極力回避しながら、生き生きとした躍動感を与えながら歌に勢いを与えて行けるかが歌手の技量と感じます。
このデリケートな感覚・感性の延長・・・つまり全ての音一つ一つに「喉声」と言う抵抗もしくは「塵(チリ)」を取り外しながら歌っていけるセンスの延長がアクートです。
そしてこのデリカシーを感じ得てはじめて・・・・喉声から「解放」されるのです!!
アクートなど聴かずとも歌い出しで歌手の技量が全てが分かってしまう歌の怖さ・・・なのです。
時々・・・・土足で歌い始めて、いや・・・靴を履いたままプールに飛び込んで水しぶきを上げながら・・・力尽くの喉声をアクートと勘違いしている動画も耳にします・・・
早く気付いてほしいものです。
あのマリオ・デル・モナコは勿論・・・フランコ・ボニゾッリの歌さえ、水の抵抗や塵(チリ)を微塵も感じさせないデリカシーの極みなのです・・・