私は犬だ。名前は数日前につけられた。ギョウル(※韓国語で冬という意味)。

いい加減な私の飼い主が、私と出会ったのが冬だったからという理由でつけてくれた名前だ。

この家に来てからもう3週目になった。初めて飼い主とペットショップで会った時、私はとても眠くて大人しくしていた。

ショップの社長も、とにかく商売人として利益を出さないといけなかったので私のことをすごくよく評価してくれた。

優しくて大人しくて頭がいいから手間がかからない。ショップに一週間いる間、一度も問題を起こしたことがない。など、あらゆる褒め言葉を使って、今の飼い主に私を紹介した。

眠い状態の私を初めて見た飼い主は愚かにもその言葉をすべて信じ込んでしまい、最終的に私を飼うことになった。

その日は、彼と彼の妻の結婚記念日だった。

所有者は、私を車に乗せて、妻のお迎えに行った。私は眠かったので当然なこと、助手席に座って寝ていた。

英国皇室犬の血統を誇るウェルシュコーギーの私を助手席に乗せるなんて、ありえないことではあるがとにかく眠かったたから寝た。

そんな私を見て飼い主は「可愛いな。なんて大人しくして慣れの早い子なんだ。」と私を愛おしい目で見つめながらほざいた。

犬だけが意味のない吠え声をあげるわけではない。人もそうなのだ。

飼い主の妻 - これからは女主と称する - は私を見てとてもうるさくて気に触る下品な悲鳴を上げた。

まあ、どうやら私のぬいぐるみのような見た目に見とれたからだろうけど、とにかくうるさかった。この騒がしいカップルを落ち着かせるためには、やはり寝るしかなかった。

私は寝た。揺れの激しい韓国の安っぽい車に乗るだけで不愉快だったが、仕方がない。これからはこいつらが私の食事を担当してくれるんだから。

いきなりではあるが、私は食い意地がはっている。

食べ物を見ると何も考えられない。登山家は山があるから登り、サッカー選手はボールがあるからゴールを入れ、男は穴があるので......ああ、これはまだ私には早い話だな。

とにかく私は食べることが大好きだ。人間は時々よく分からないことを口にする。生きるために食べるとか、幸せのために生きるとか、知的レベルが高いと誇る奴らは<実存は本質に先立つ>など荒唐無稽なことを言ったりする。しかし、私ははっきりと言える。

私は食べる。故に、私は存在する。

私の本質は食い意地で出来ていて実存が本質より先立つことは絶対ない。

まあ...ところで、最初に飼い主の家に到着するやいなや、リビングルームの真ん中におしっこをした。それはとても象徴的な行動だった。

単なる排泄を超えてマーキングと同時に主従関係の確立というか。君たちが居着いていたこの家はこれから私の家で、君たちは私のうんちとおしっこを片付ける存在だけであり、それ以上を望むのではないとの無言の意思表現だった。どうせ私は言葉は喋れないけど。

おしっこが終わったら喉が渇き、お腹もすいてきた。さっさと飲み物と食べ物をもってこいという意味で私は人間どもに噛み付いた。

まだ乳歯が生えている中だから歯がくすぐったくなってきたためなんでもいいから噛み付きたくなった。彼らは痛いと言いながらも楽しんでいた。

急いで私の水ボウルと餌ボウルなどのペット用品のセッティングを終えた後、ご飯と水を持ってきた。

ご飯を食べている私がかわいいと撫でてくることにあまりにもイラついて3秒ほど唸ったらその後からは食事の時に触ってくることはなくなった。

一度言っただけで分かるのを見て人間もかなり知能が高いかもしれないと思った。

ご飯を食べ終わったらまた眠くなっててきた。ついでに言っておくとこの時の私は生後2ヶ月と10日しかなってない子犬だったから一日中眠るのが普通なのだ。

寝るつもりでふわふわのクッションの上に横たわったらこの人間どもが私の周りに鉄のフェンスを立てていた。

私は閉じ込められてしまった。

その中にトイレと水のボウルを入れてくる。排便の訓練をさせるつもりであろうと思った。

私は英国の皇室犬血統、牧場を走り回った羊飼いワン様なのだ。私が排便するところは私が決める。

巧みに彼らが持ってきたトイレを避けてうんちとおしっこをかけてやってからグーグー寝た。

10時間程度を寝て、起きてからゆっくり家を見回った。

家はかなり居心地のいい感じで、ちょうどよく整理されていた。新婚だけではあるなと思った。かわいい奴らだと思っているとき、人間どもが現れて私の口におもちゃを近づける。

めんどくさいー!結局、私は飼い主が大切にしているチョッパーのぬいぐるみをバラバラにしてやった。それで飼い主はチョッパーを持ってきた女主に拗ねてしまった。

まあ、でも少しは優しくしてあげないとと思って数回飼い主を舐めてあげたら、すぐに笑いの花が咲く。人間を飼うのも悪くはないと思った。

数日間、ああやって人間どもに排便訓練を許さず遠慮なくワガママしていたら餌の量が少しずつ減ってくることが分かった。

ずるい奴らめ。私、頑張るよ。

心を決めて全力で可愛いふりをした。ジャンプ、ジャンプ、ターン、ターン、ペロペロ、ペロペロ、ぎゅっとぎゅっとの無限な繰り返しだった。

そして時々おもちゃを噛むふりをして人間を噛んで彼らの体のあちこちに傷を残した。

人間どもが自分たちでこそこそ言ってることを聞いてみると「元々ウェルシュコーギーが牧羊犬だったじゃん。そういう習性が残ってるから足のかかととか噛んだりしてるんじゃないかな?ああ、そうかもよ。いう通りだわ。あなた本当に頭いいね!」

やはり犬だけ意味なく吠えるのではない。もしもし、私、韓国で生まれた韓国のワンちゃんなんだよ。私もお前らのように韓国の吠え声を出すんだよ。習性なんてバカバカしい。

 

そうやっていつまでも人間どもを噛み続ける楽しい日々が続くと思った。

人間どもの友達が訪ねてきた。

彼らは様々なペット用品と餌やスナックを買ってきた。社会性の良い人間どもだと思った。

彼らは私のことを可愛がりながら、彼ら同士でつるんで遊んでいた。彼らが酒を飲んで笑って楽しい時間を過ごしているとき、私は眠たくなった。

目が閉じそうになると触ってくるし、眠りにつきそうになるとキスをしてくるからとうてい眠れなかったのだ。

眠くて仕方がないとき、人間どもの友達の一人めがキスをしまくるから思わず唇を噛んでしまった。

力加減に失敗した。

その友達めの唇から血がたくさんた出て、人間どもはそれ以降、私を叱り始めた。

 

畜生ども、飼い主づらをやり始めた。

私が噛むたびに人間どもは強制的に私をひっくり返してお腹を見させた。

「ダメ!ダメ!ギョウルちゃんダメ!」という言葉を五百回以上聞いた気がする。

女の子のワンちゃんにとって強制的にお腹を見せる行為はとても反犬権的なものなのを無知な人間たちは知らない。

人間の女性も心を許してから体を許すように、私も同じなのだ。心がほぐれてからお腹を許す訳なのに強制的に私の大事なところを見せられるのはとても悪い行動である。

レイプだよレイプ! 私に首輪をつけるのではなく先にお前らに電子足輪(※性犯罪者GPS監視装置)をつけるべきじゃん。

とにかく私は現在も日々レイプされながら生きている。

私のパパがこの事を知れば<I will find you and I will kill  you>してくれるのであろう。会いたいよ、パパ。

レイプされないためには仕方ないけど少しはいうことを聞いてやらないといけなかった。

しっかりトイレに排便をしないといけなくなり、噛むこともできなくなった。

しかし、時にはイライラすることもある。そんな時にはおもちゃを噛むふりをして飼い主を噛んだり、あえてトイレのすぐそばに排便をしたりする。

ところで面白いのは、間違いなく床に糞を出したはずなのに人間どもはどこで聞いた豆知識なのかは分からないけど、私を糞が見えない場所に連れていっている間にこっそりと糞をトイレに移す。

そして、まるで私がトイレに糞を出したかのように褒めまくる。

何をやってんのか分からない。とりあえずおやつをくれるから食べるけどね、お前らも大変だ、大変。

 

先週末には飼い主とお風呂に入った。

飼い主は浴槽に少しお湯をためてから、私を入れた。当然なことに私は犬だから怖かった。

それがバレないようにすごく頑張ったけど、体が震えてくるのは仕方なかった。

飼い主は本人も浴槽に入ってきて私に少しずつ水をかけながら私が水に慣れるまで待ってくれた。

私はその時、人間の成人のあれを初めて見た。ペットショップにあった珍島犬のあれよりも小さいと思った。

鼻で笑っていたら、まあそれなりにお湯が暖かくて気持ち良くなってきた。飼い主はそんな私に気がついたのか浴槽に水を溜め始めた。

水が溜まってきたが、私は足が短い。幼いからってこともあるが、元々ウェルシュコーギーは足が短い。

水はすぐに顎までの水位となり、私は仕方なく飼い主の汚い体に抱かれるしかなかった。

クッソ、また眠くなってきた。

私はうっかりと飼い主の胸の中で眠ってしまった。たまに目がさめるたびに飼い主の顔を見ると彼も眠っていた。

じっーと彼の胸に抱かれていたら、私の心臓と彼の心臓がくっついているのが感じられた。

メトロノームのように同じテンポで彼と私の心臓は一緒に鼓動した。私はその時、初めて彼を近くに感じることができた。

居眠りについている彼がなぜかかわいく感じられて彼の頬を舐めてやったら眠りから目を覚まして私を抱きしめてくれる。

その時から、なんだか、彼に反抗するのが少しずつ悪いと思われてきてシャンプーをする時も、ドライをする時も大人しくしていた。

彼はしょっちゅう私のことを褒めて餌を与えてくれる。まだお腹を見せることはできないが、それなりにいい飼い主ができたと思い始めた近頃である。

ところで女主は違う。ご飯はクッソみたいに少しだけくれるし、終日ダメ、ダメ、ダメばかり繰り返し言うし、お手、お手、お手と私をしつけようとする。

そして今日は、本当にプライドが傷つくことがあった。

飼い主たち家は2階建ての家で、2階に行く木製の階段がある。

女主はまだ足が短い私にずっと階段を上る訓練をさせる。

一段に一粒ずつ餌を置いて私を誘惑する。しかし、誘惑されないすべがない。

先に述べたが、私は食い意地で存在するからである。

短い足で階段を一段上るごとに甘くて甘い餌が一粒ずつ舌を浸し、同時に身体的な欠点でからかわれているようで不快だった。

お前たち人権があるように私たちには犬権がある。人種差別がイヤなら犬種差別もするなよこの猿どもよ、と思ったが、目の前に再び現れた餌一粒に

ああ、逃れることができない、と思いながら、すべての階段を上りきった。

ところでクッソ、なぜ降りる時は餌くれないんだ、おい。お前らは退職金もらうためにあれだけデモをして騒いでるくせしてなぜ私には精算してくれないのだ。

だから、私は降りるのを拒否した。

実は怖くて降りられない。

 

 

 

いいさ、認めてやる。

私は犬だ。名前はギョウル。

私は君たちが好きだ。ワンワン。 

 

 

 

 

作家:キム・シウ (김시우)

 怠惰への讃歌でもある。人間とは、また人の人生や愛とは多分あまりにもつまらないもののため、掃除機に線があるかないかとの単純な変化だけで劇的に良くなったりもする。大事なのはタイムリーさであろう。家中を転がっている妻の髪の毛ーもしかしたら勝手に繁殖しているかもしれないーと妻がこぼしたお菓子のかけらとウェルシコギーの毛やほこりとそれらの束を我慢できなくなった時、不満を吐露する会話も、掃除の数を増やすとの決意も、その時その時片付けるという約束の強要も、イライラも、怒りも、涙の訴えも、呪いも、複数もその力を失った時、その時こそがあなたにとってコードレス掃除機の買い時となる。たった30万ウォンで(※3万円)で内面の平和を購入する時なのだ。

 

 考えてみると、コードレス掃除機を買ったのが今回で初めてではない。大学時代に一人暮らしをする頃にも私は中古のコードレス掃除機を購入した。理由は、今回と同じである。ほぼ毎日私の家に遊びに来る元カノの髪の毛のためであった。私にとって髪の毛は、愛憎の存在だ。ひどいくせ毛で4B鉛筆の芯のように厚い毛髪は、私の一生の不満だった。そのためか、私が魅力を感じる対象は一概にして限りなくサラサラする髪の毛の持ち主であった。意識して髪の毛が良い女性を求めたわけではないが、好きになってから見ると相手の髪の毛がサラサラだった。

しかし関係が少しずつ深まり、お互いの家を行き来する関係になると話は変わってきた。自分勝手なことに、私は私の家への彼女の訪問自体は好きだったが彼女が残していく髪の毛はイヤだった。だからといって毎回その当時使っていた大きな掃除機をベランダから取り出し線をぐいと引っ張ってコンセントに差し込んでから、取っ手をガチャという音と一緒に伸ばして床を吸い取る面倒な手間をかけるわけにはいかなかった。なぜなのかは分からないが私には「有線掃除機は週1回だけ」などのマニュアルがいつからか搭載されていた。とにかく、私にとってはそれがコードレス掃除機いう新世界を初めて経験することになったきっかけであった。

 

 もちろん、その時の彼女とは別れた。若くて愚かだった私たちにとって問題は髪の毛だけではなかったのだ。掃除機の電源ケーブルの有無などで決まるほど、私たちの稚気は単純なものではなかった。別れた直後、やはり掃除機の吸引力が問題だったか、と悩むほど愚かな私だったからだ。

 

 そして何人かのふわふわでツヤ感のあふれる髪の毛の持ち主たちを経て、今の私は結婚5年目になった。おかしいほどに毛を吹き出す犬一人と妻一匹がいる。

 

 妻は、毛量は豊かではないがとも世界中の毛量豊かなどの女性にも負けないほどの脱毛量を誇る。ところでどうして最初からコードレス掃除機を購入していなかったのか、それには大したことではないが止むを得ない事情がある。結婚前に、コードレス掃除機の購入を計画していた私たちにある友人がいきなり線の長さが10メートルもある大きい有線掃除機をプレゼントしくてれて、私たちは - 相変わらず愚かにも! - 止むを得ずその代わりに70万ウォン(※7万円)ほどのロボット掃除機を買った。失敗だった。掃除ロボットは、掃除に無能なロボットの略語だった。ロボットが過ぎ去った場所には、ロボットがもたらしたほこりが残り、たかが3センチメートルに過ぎない敷居さえ乗り越えることができず、犬は敷居に引っかかったロボットを攻撃し続けた。ロボットは犬の攻撃を受けるたびに「掃除機を平たい場所に置いてください。掃除機を平たい場所に置いてください。掃除機を平たい場所に置いてください」と繰り返し言い続け、電池が切れていく頃には「チャージが必要です。チャージが必要です。チャージが必要です」と喋り出した。結局、私は犬を落ち着かせ、ロボットを持ち上げてテレビスタンドの下にある充電器に差し込んでやったのだ。やっと犬が入れない空間に戻り、ひっそり一人になったロボットがまるでホッとしたかのように軽快な口調で「充電を開始します!」と叫んだ。

 その日以来、元の位置でビクッともせず4年間ずっと充電中であるロボット掃除機を見ると、私はいつも胸の片隅が冷えて来るのを感じる。

 

 二十代前半、頃の冬のことであった。IHレンジが市販してから間もない時、私の母はなぜだかどこかで移動式タイプのIHレンジを80万ウォン(8万円)で買ってきた。赤外線か遠赤外線かが出て体にも優しい画期的な商品だと、母は誇りに満ちた口調で言った。

 「今晩はこれでサムギョップサルパーティをしよう!」 お母さんは勢いよく声をあげた。しかし、その日の夕方、私たちは血に染まったサムギョップサルを酒で洗って食べることになった。赤外線だか遠赤外線だかは鍋に入れたインスタントラーメンのお湯を沸かすにも30分を必要とした。それから家族たちはIHレンジを見るたびに母に非難の矢をバンバン飛ばすことになった。

 数日後のある朝のことだ。一戸建て住宅の部屋特有の冷たい空気に震えながら目覚め、リビングに出るとお母さんが床にぺったと座ったまま腰を丸めて下を見ていた。お袋、何してる?と私が尋ねると、母は「これホンマに暖かいな。ストーブ代わりにぴったりだわ。」とものすごい明るい笑顔で答えた。

これ、はもちろん赤外線だか遠赤外線だかを吹き出す移動式IHレンジだった。母はまるで焚き火に当たるようにIHレンジの赤いランプの上に手のひらを広げたまま寒さをなだめていた。私はそんな母を後ろからギュッと抱きしめてやった。その日の記憶は10年が過ぎた今も鮮やかである。

 だからテレビスタンドの下でいつか気が済むまでリビングを清掃する日を待ち兼ねながら4年間ただただチャージ中の充電ロボットを見るたび、私は私の母のスンドクさん、限りなくポジティブな我々のスンドクさんが私という無用無能な息子に接する時の心構えを感じるのである。

 

 ああ回り回って私はコードレス掃除機を所有することになり、現在は150%活用している。おかげでイライラさや怒りを覚えることもだいぶなくなり、妻をザ・ロック(プロレスラー)のように丸刈にしてくださいという祈りももはやしなくなったのだ。元も和やかな方だった私たちの家庭は、さらに平和になった。どうしてだろう。

 大学時代の元カノとは掃除機一つで和やかになることは出来なかったのに、なんで今はそれが可能になったのだろう。たぶん線一本の有無の問題ではないはずだ。全てが私の問題だと結論付けることはできない - したくもないし - が、とにかく私の問題でもあるだろう。体から離れゴミになってしまった髪の毛と使い道を無くしてしまったIHレンジ、充電のみが本質になってしまったロボット掃除機、かつては価値が高かったものの今は無用になったこの存在に接する私の態度は、人や人との関係にまで至る。

 

 考えてみれば私はあまりにも簡単に線を切ってしまう人間だった。自分だけの基準を立て、誰かがその許容値を超えるとそれっきり終わりだった。誰かと私をつなぐ<我々>の線はそれほど細かった。関係の厚さはかなり厚かったが、私は彼に差し出した手がやつれたとも言えるだろう。

 その細い線を太くすることができないのであれば、少なくとも切れないように代案を用意するべきだった。IHレンジがカイロになったように、ロボット掃除機も鍋敷きであれ犬のセグウェイであれ何にでもしなければならないはずであった。しかし、私はそうしなかった。その考えさえしないまま、あまりにも当たり前のようにロボット掃除機を充電ボットに転落させた。故障した関係を直してみようと一度は努力をしてみなければならなかった。それは明らかに私の気持ちの問題である。

 そして今の関係に至った。スンドクさんのように私の妻も、犬も私という無用な人間を限りなく包容してくれたので、もう私は毛量の多い犬一人と妻一匹を世界中の何とも変えないように変貌した。そして鈍い頭をなんとか回して私たちは再び、コードレス掃除機という結論に至った。適切なタイミングで適切な発想だったと確信している。線のないこの掃除機は、結果的に私たち三人をつなぐ線を厚くしてくれた。

 

 バートランド・ラッセルは「怠惰への讃歌」で<幸福と繁栄への道は、組織的に仕事を減らしていくことである>と述べた。事実、今となってはあまりにも当然になった言葉であまり響きがないかもしれないが、とにかく私はその文に「技術的」という言葉を付け加えたい。

 怠慢だからこそ発生する、あまりにも人間的な葛藤は、時には技術の進歩によりわりと簡単に解決できる。ただ私達に必要なのはその技術が効果的に投入できる適切な時期を見つける努力であり、努力は愛の幹かつ傍証であろう。

 

 いつのまにか夜が訪れてきた。妻が仕事から帰って来る時間に合わせて私はあの線のない掃除機を回す。ブイーンとうるさい掃除機の音に犬が驚いて隠れる。久しぶりにロボット掃除機を稼働させてみる。子犬は嬉しいと短い尾を振り回しながらロボットを追いかける。ワンワン、犬の吠え声と同時に、ロボットが語る。

 お掃除を開始します。

 

誰かとの間に縁があったか無かったかは、時には出会いの重さではなく、別れの重さによって決まることもある。

 私たちの家は、いわゆるピーナッツ住宅である。今年の秋ごろ、妻と私が住んでいる家の大家さんで、同じ庭を共有するお隣さんのおじさんが亡くなった。良い方だった。親切で、優しくて、本当の意味の配慮が分かる方であった。

 私たち夫婦は、数学塾を運営する彼のことを塾長と呼んだ。

 「家賃を上げることはないですから、子供二人産んで、育つまでここで住んでください。」

 引っ越してきたばかりの私たちに塾長が話しかけた最初の言葉だった。

 あのあと塾長と一度だけの飲み会をしたことがある。昨年の春だった。庭にレンギョウ、タンポポ、桜などあらゆる春の花が見事に満開した日だった。私たちはお昼から庭でバーベキューパーティーをした。塾長は肉をコチュジャンにつけて食べるのが好きで、焼酎とビールを混ぜて飲んでいた。私は肉もお酒も断ることなく貰うがままに食べ続けていた。ちょっとだけ付き合うつもりだったのに、いつのまにか酒が足りないことに気がついた私はついにはとっておきのパウラーナービールまで家から持ってきては飲み干すことになった。

 「ピアノがしたいからって、せっかく通っていた良い大学を辞めて再び音楽大学に入った息子がどうにも理解できません。頭もキレて、見た目も悪くない奴だからそのままの道を進めば保証された人生なのに、なぜ自ら苦労をするのかね。」

 酒に酔った塾長の口からは息子への残念さ混じりの不満の言葉が続いた。

 「よく分かりませんけど······私は窓を開けると聞こえてくる息子さんのピアノの音が好きです。」

 私は深く考えずにそう答えた。ラフマニノフを練習する塾長の息子さんのピアノの音は本当に好きだったが、もしかしたらそのとき私の頭の中には頭の固いオッさんなどの気早い言語が漂っていたかもしれない。

 塾長との最初で最後の飲み会は、お互い少しだけの本心を見せたまま終わってしまった。次の日、彼は出勤することができなかった。

 数日の間、少しも動かず駐車場に止まっている塾長の車を見て、私はおばさんに尋ねた。

 「なぜ塾長は出勤しないんですか?」

 「飲みすぎて具合が悪くなったのか、ずっとお腹の調子が悪いらしいわよ。胃炎かな?」

 たまにああなる時があるというおばさんの言葉を聞いてそれ以上のことは気にすることなく日々を過ごした。

 しかし、レンギョウがその花を隠して、バラがフェンスをまとって、落ち葉が転がって、雪が積もり庭のすべての植物が凍りつくまで、おじさんが庭で肉を焼くことはなかった。ピアノの音ももはや聞こえて来なくなった。

 私はその春から冬までの間、ただ胃がんだろうと思っていた。直接尋ねるには中途半端な間柄だったし、今の世の中では胃がんはそんなに珍しい病気ではないから、最悪のことにはならないだろう、と考えて自分を安心させようとした。だが、少しだけの罪悪感が私の中にあったと思う。最後の飲み会がよりによって私と一緒だったことからの…。

 私に出来るなことがあればいつでも言ってください、私に出来ることがあればいつでも言ってください、私はおばさんと出会うたびにそういうことで罪悪感を払おうとした。

 そんなある日、庭で雪のように真っ白な珍島犬の子犬の吠えている姿が見えた。本人が出勤をすると一日中独りきりになる塾長のためのおばさんの配慮であった。

 日々が経つにつれて子犬は小さい木が育つようにすくすくと大きくなり、塾長は枯れた葉のようにごそごそと痩せていった。数ヶ月ぶりに偶然出会った塾長は、今まで私が知っていた人ではなかった。90kgは十分ありそうに見えた風采の良い体は元の姿を失い、ただ細い骨に薄い皮が付いているだけの、かろうじて40kgあるかのような痩せ細った体になっていた。毛が多くツヤのあった髪もその姿を消してハゲ頭になっていた。しかし、何よりも疲弊したのは、心の方のようであった。彼は人を避けていた。私と目が合ったのにも関わらず私を見なかったふりをして、禿頭を恥じるように毛帽子を目深に被り、彼は私を通り過ぎていった。私はその時になってようやく、ああ、これはただことではないことに気がついた。

 

 

 しかし、隣に住んでいること以外、これといった接点も親交もない私に出来ることはなかった。たまに田舎の実家から送られてくる有機野菜や果物などをあげたり、作った料理をあげたりするくらいの些細な配慮くらいしか私に出来ることはなかったのだ。しかし、そのような私の配慮にはある卑猥な対価意識のようなものも混ざっていた。おじさんが亡くなった後、その広い2階建ての家におばさん一人で寂しく暮らすよりは、家を売ってマンションや一人暮らしに適した便利な住まいへ引っ越したほうが賢い選択というのは誰にでも予測可能な明白な事実であった。今の時代に、新しい大家さんが住宅保証金を上げるのは火を見るより明らかなこと。私は死にかけている人に配慮を装ってあることを押しつけていたかもしれない。 「家賃を上げることはないですから、子供二人産んで、育つまでここで住んでください。」 塾長が私たちに渡した最初の言葉を、私はまるで死んでも守るべき約束であるよう履行を強制していた。もちろん、純粋な配慮も一部はあったのだろう。しかし、その裏にある影の色がより濃かったのは否めない。

 

*

 

 この家に暮らし始めてから二回目の春が訪れてきた。

 息子さんと娘さんは父親と一緒に居るために休学届を出して家に帰ってきた。開いた窓からピアノの音が、たまには笑い声が聞こえてきた。経過が良いのだろうと、私は安心した。

 その間に私はうんざりする公務員生活をやめて別の仕事の準備をしていた。

 「最近、塾長の具合はいかがですか?」 その短い言葉を、私はおばさんにどうしてもかけられなかった。<いかがでしたか>その短い言葉に、主語になる人物に対する懸念よりは私の家族の安易への思いがより大きくにじみ出るはずだったからだ。

 何も聞けないまま、ただ私がとても心配をしていることだけを絶えずに匂わせたまま、夏が来て、また過ぎ去った。

 秋、土曜日の午後、隣のおばさんから電話がかかってきた。

 「彼を病院に連れて行きますけど、もし時間が大丈夫だったら病院までちょっと乗せてもらえますか?私はそこまで運転する自信がなくて…」

 「分かりました。」

 病院で使うあらゆる荷物を載せて私と塾長とおばさんと20歳の娘さんの4人は一緒に車に乗って病院に向かった。庭の珍島犬のソルがワンワンと私たちを見送った。車の中で娘さんはお父さんになんなんと喋りかけた。友達と撮った写真を見せて「この子は最近彼氏ができて、この子は大学に入って…」 のような日常の事柄をずっとお父さんに聞かせた。気力のない塾長は苦しい様子でありながらも楽しそうに娘の言葉に耳を傾け、「私はその子はちょっと苦手だな。なぜか好きになれない。でもあの子は好き。あの子は明るいし可愛い。」と言い返した。

 ソウルの都市高速化道路を通るとき塾長は私に話をかけた。

 「新郎さん、家内から話しを聞いた。お仕事をやめたんですって?」

 私は極まり悪そうに答えた。

 「はい、そうなりました。」

 「最初は正直、どうしてあんなに良い公務員職を辞めたかと思いました。たくさん心配もしたし。でも、病気で苦しい思いをしてみると、その考えは間違っていることが分かりましたよ。私が最も幸せな時がいつなのか分かりますか?家族みんなで横になって楽しく話し合う時も大切だけど、本当に私が幸せなときは痛みを感じないときです。一日中ずっと死ぬほど痛いんですよ。でもある瞬間、嘘のように痛みがすっと消える数秒間が訪れてきます。私はその痛みのない3秒間が一番幸せ。

生きるというのはそんなに大したことないみたいですよ。痛くなければそれでいい。苦しみなく、やりたいことやりながら生きる、それが本当の人生なのだと思いますよ?だから新郎さん、よくやったよ。今後も嫌なことを無理やり我慢しないで幸せに生きて。」

 低く、とても低く、ささやくように気力のない声で口ずさむ塾長の言葉に、車の中の私とおばさんと娘さんは涙をこらえるために口を閉ざしたままそれぞれの車の窓に目を向けた。秋の空は本当に高くて綺麗な青色だった。

 いつのまにか病院に着いて荷物を降ろして塾長一家を送った後、私は再び家に向かった。帰りの車の中では痛みのない3秒、その言葉が頭をぐるぐる回り続けた。

 それから数日が過ぎた。夢を見た。隣の家では和風の家内葬式が開かれていた。私も参加し、線香を上げてお礼をした。息子さんの部屋で彼と一緒に楽しくピアノを弾いてる途中、夢から目が覚めた。

 妙な夢のせいか、変な予感がしておばさんに控え目のメッセージを送った。 「大変聞きづらい話で申し訳ありませんが…塾長はいかがですか。」 そのメッセージから心配を装った偽善の匂いがしなかったとは言い切れない。しかし、その瞬間は確かに心配の方が大きかった。

 返事がきた。

 「心配しないでください。良いところでゆっくり休んでいますよ。」

 宗教を持ってない私は、人生初めて妻と一緒に祈りを上げた。いいところでゆっくり休まれることを、心の底から。

 次の日、私はいくつかの食べ物と香典袋を持ってお隣に訪ねた。修羅場になった家をおばさん一人で片付けていた。これまでリビングで生活していたようで、大人用のおむつ、ふとん、薬の封筒など、いろんなものが散らかっていた。死闘の現場だと、私は思った。

 持ってきた食べ物を食卓の上に置きながら私は言った。

 「お茶を一杯頂けますか。」

 私たちはテーブルの周りに座って色々と話をした。

 「膵臓癌でした。発見した時はまあすでに手遅れでしたね。」

 「わざと連絡はしなかったんです。幸せに暮らしている若い夫婦に喪中なんか知らせるのも申し訳ないですしね。」

 「病気の時もあの人はしょっちゅうマッサージをしてくれましたよ。苦しくて歩くことすらろくにできなかった人がどうやってそんなに指先の力があったのか不思議。言わなくても私の凝っているとこが目に見えるように分かって揉んでくれたのね。評判のマッサージショップに行ったって、彼からしてもらったマッサージとは程遠かったわ。」

「彼の下のお世話も全て私がしましたよ。いつか、おむつ換えの時に彼が謝りました。精神はしっかりしていたから。うつ伏せでずっと謝ってましたね。面目ない、申し訳ないと、ずっとその言葉ばかり繰り返していました。だから私は彼に言ったんですよ。私は元々介護士になりたかったと。今後、引退したら介護福祉士の資格を取ってその仕事をすると。だから、あなたが私に謝ることではなく、私があなたに感謝しなければならないと。だって、このように事前に練習する機会を私に与えているんじゃない…」

 「最後に入院したとき、ベッドのシーツを変えて、体を拭いて、尿袋を変えて、鎮痛剤ももう聞かない時期だったから彼の痛いところをマッサージしてから眠っていることを確認して、補助ベッドに座って家から持って来たものであまり進まない食事をしていたらふっとこのような思いが浮かんでくるのです。大変だ、と。その前までは一回も大変だと思ったこと無かったです。なぜだったかは分からないけど全然苦しくも辛くもなかったし。でもその瞬間は、本当に大変でした。だから彼に、あなた、私もう疲れた、と言いましたよ。そしたら彼がもういいと。彼自身も十分頑張ったし、耐えられるところまで耐えてきたから。だからもう送ってくれと。」

 「私は自信がないと言いました。あなたが行ってしまえば子供二人の子育てを一人でする自信がない。息子は無口で口数も少ないし娘は母とは話が通じないからと言ってあなたの事ばかり慕っているのに、私一人でどうすればいいの。と言ったら、彼はあなたならうまくやっていけると言ってくれました。親はしてあげられなかった事ばかり気にして、子供はもらえなかった事ばかり記憶すると。よく考えてみて、あなたはいいお母さんだと…」

「彼の兄弟や私のお兄さんたちもこの広い家で一人暮らしするよりは他のマンションとかに移した方がいいと言ってくれてますけど、私はイヤよ。窓を開けると花も見え、木も見え、ソルちゃんも見えるこの家が好き。だから新郎さん、引っ越す気がないのならずっと私の隣に住んでいて下さい。花嫁さんと新郎さんが私にとってどれだけ頼りになるのか。家賃をあげたりすることは絶対ないからこれからも私と一緒にここで長く長く住んで下さい。お願いね。」

 お話を終えたおばさんはお葬式催事用のいろんな果物を大きい袋に包んで私にくれた。抱えている袋の大きさほどの恥ずかしさが胸いっぱいだった。

 

*

 

 一週間が過ぎてからおばさんは長かった休みを終えて職場に戻り、二人の子供は学校へ戻った。

以前と変わらない生活が続いた。

 町の散歩を終えてからの帰り道の私を住宅団地の管理人さんが呼び止めた。

「最近、おじさんは元気なのかな?」

 私は躊躇して控えめに、亡くなりました、と答えた。だが、歳で耳が遠い管理人さんには聞こえなかったのか、彼はなに?と聞き返した。私はちょっとだけ声をあげて、亡くなりましたよ、と答えた。管理人さんは何回もなに?なに?と聞き返し、私はそのたびに少しづつ声を大きくしながら答えたが管理人さんはどうしても聞き取れなかった。

 「亡くなったんですよ!」

結局私は大声で叫んでしまった。けど、どうしてだったんだろう。涙が出た。いきなりボロボロと涙が溢れてきた。

どうすればいいのか分からない顔をして突っ立っている管理人さんに背を向けて私は庭に入ってきた。どうすればいいのか分からないのはむしろこっちだよ。止まらない涙を拭きながら庭に座ってワンちゃんのソルの頭を撫でていた。ソルは私の顔を舐めてくれた。私の顔は涙とつばまみれになってしまった。

家に帰ってリビングの窓を開けた。首輪でロープに縛られてソルが力でロープを絶って家の窓枠に前足を上げた。

 ソルは笑っていた。

 

 再び冬が訪れ、冬休みを迎えた子供達が隣の家に帰ってきた。ピアノの音が聞こえてくる。今日はリストが。

 

 

 

作家:キム・シウ (김시우)

出典:

http://blog.naver.com/siukim11/221075897571