漫画や小説の映像化で改変するのは仕方がない・・・。

 

 

人気ドラマ『セクシー田中さん』原作者が日テレの“改変”に苦言…視聴者衝撃「なぜこんな行き違いが」「気の毒すぎる」

昨年10月クールに放送され、人気を呼んだドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)。12月2..........≪続きを読む≫

ネット上での原作厨の怒りは、「原作者からの『原作に忠実に』との約束があったのなら守れ。」「勝手にテレビのオリジナルに変えるな」とのこと。

改めてこのニュースの内容をよく読んだら、確かに、テレビ版脚本担当が怒るのがもっともな内容である。

 

連載途中で未完の作品であったことから《ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく》《漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある》を条件に、ドラマ化に合意したという。

 

《・漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。
・個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される。
・「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。
といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました》

 

 

テレビ版脚本担当にしてみれば、「そんなに自分の作品が大切なら自分で脚本を書いてみれば」と言いたいだろう。

 

地上波のテレビドラマは、スポンサー・視聴率・コンプラなどの制約の中で、細心の注意を払いながら表現しなくてはならない。有料チャンネルじゃなく、チャンネルひねれば簡単にお茶の間に飛び込むものだから。

 

芦原氏及び小学館の担当者と、脚本家らドラマ制作スタッフを繋ぐ窓口はプロデューサーのみだったといい、芦原氏は度重なる改変により、脚本家や監督に当初伝えたドラマ化の条件が伝わっているのか、疑問を抱いていたと明かしている。

 

これは、日テレ側プロデューサーの不誠実ではあるが、別の見方をすれば、「テレビ版のセクシー田中さん」を作るために原作者からの圧力をシャットアウトした、と考えることができる。

 

原作厨野郎は「テレビは自分のオリジナルで作っていない」「原作クラッシャー」だとほざいているが、オリジナルによっては、原作の限界を超えることができる。テレビをナメるなと言いたい。

 

ニュースの文中で特にこの部分が気になった。

性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。

 

当たり前だバカ。

今の地上波テレビドラマでそういうテーマを演出したら場合によっては大炎上になってしまう。悲しいが、ガキな大人がのさばっている今の社会ではそのテーマを地上波テレビドラマで描き切るのは無理だ。やるなら映画や有料チャンネルや自主制作じゃないとダメ。


はっきり言えば、芦原氏と小学館は、テレビドラマ化についてどう考えていたのか。芦原氏はコメントなりやっているが、小学館もコメントを出すべきだろう。