「王の後継者」の妻はどのように選ばれたのか、という記事がありました。

韓国の歴史ドラマ好きとしては読まずにいられない記事。アセアセ

李王朝時代はどのように世子嬪が選ばれたのでしょうか。

 

世子が決まると、すぐに嫁探しが始まります。両班の子女で結婚適齢期のすべての女性が対象になり、美貌、教養、体型に恵まれた女性が国王の前で最終審査があり、合格した1人が世子嬪に選ばれたとか。

 

「太陽が抱く月」でそのようなシーンがありましたね。

 

でも、ドラマに出て来る世子嬪は世子に愛されることなく、お飾りのような存在として扱われることも多く、嫉妬に狂い精神を病んだり、罠にはめられて罪人となる場合など決して幸せな人生を約束されるわけではないようにドラマなどでは描かれていますね。

 

「世子嬪→王妃→大妃と移っていくことが、朝鮮王朝では女性最高のエリートコース」だったそうで、「このエリートコースを歩んだ女性は朝鮮王朝では1人しかいない」そうです。

それは18代王・顕宗(ヒョンジョン 1661年~1720年)の正室だった明聖(ミョンソン)王后。

「馬医」や「トンイ」や「チャン・オクチョン」などのドラマに出てきます。

 

この時代では珍しく夫の顕宗と他の女性との間いには子供はいなかったようです。

 

そういうことを知った上で韓国歴史ドラマを観るとまた違った見方ができて面白いかもしれませんね。

 

 

 

 

http://www.kampoo.com/jp/history/js-dynasty-king.htm