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不安を乗り越える効果的な方法があります

 

不登校や登校しぶりは年々増加しており、親御さんはさぞかしご心配のことでしょう。

厳しく登校を促しても、優しく受容しても、スクールカウンセラーに相談しても、校長先生と面談しても一向に改善の兆しが見えず、不安、焦り、イライラ、失望、そして自責の毎日ではないでしょうか。


不登校の原因は何なのでしょう。原因が分からなければ対策の講じようがありません。

不登校の原因について、インターネットを始めさまざまの情報があふれていますが、もしこれらの情報が的外れであった場合には、再登校を促す助けにならないのは当然です。

 

初めに申し上げておきますが、その原因が「甘え」ではないことだけは確かです。

 

 

従来の応用行動分析とは違い、人間の行動を思考や感情という目に見えないレベルでもとらえることに成功した臨床行動分析「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」略してACT(アクト)は、不登校の原因を、「体験の回避」と「価値行動の喪失」というこの2点で明確に定義することができます。


わたしがスクールカウンセラーをしていたとき、ほとんどの同僚はACTが示す不登校の原因を知りませんでした。まして心理の専門家ではない学校の先生や校長先生、教育委員会の先生がたがこの理由に気づくことは容易ではないでしょう。


では子ども自身は自分が学校にいけない理由を知っているでしょうか。

不登校の子どもはほとんどが、前の日には「明日こそ行くぞ!」と硬く決心しています。
ところがなぜか朝になるといけないのです。彼ら、彼女らもまた学校にいけない理由を知らないのです。本人が分からないのですから、親御さんが分からないのももっともな話です。

 

不登校の理由が分からないなか、子どもと一緒に悩み苦しみ、必死に支えてこられたと思います。
これまで様々な人に相談しても改善はおろか原因をみつけられなかった方、ACTの心理療法を取り入れた新しい支援を受けてみませんか?


私たちはことばの治療で、子どもたちだけではなく親御さんの気持ちに寄り添い、オンリーワンのサポートをいたします。
不登校・ひきこもり :: ACT心理相談室 (act-soudan.com)



Google Meetによるオンラインカウンセリングもお受けできますので、遠方の方のお力にもなれます。

また、webでのご予約もお受けしております。

予約申込み (act-soudan.com)

 

日本では多くの脳科学者や識者があたかも自由意志が存在しないことは確定事項のように語っていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。

 

この論議のきっかけになったベンジャミン・リベットの研究は、確かに自由意志の存在を否定する方に軍配が上がりかけていました。

 

リベット自身は何とかその存在を確認しようとしましたが決定的なことは発見できずに世を去りました。けれどもその後、ドイツの研究者がある種の自由意志が存在する有力な可能性を発表したのです。

 

 

 

先ごろNHKの「ヒューマニエンス クエスト」という番組を見ました。その時のテーマは「"自由な意志"それは幻想なのか?」というタイトルでした。そしてこういうことを言っていました。

「最新科学はそれを脳がつくりだした「幻想」という。」

インターネットに上がっていたこの番組紹介にはもう少しく詳しく書いてあります。「私たちは『意志を持って自由に決断をしている』と信じて疑わない。その『自由な意志』がテーマ。

最新の脳科学は、『自由な意志』は脳がつくっている錯覚、幻想かもしれないという。無数の電気信号が飛び交う脳の神経細胞の活動は、意志が関与する前に勝手に動き出し、それによって後付けのように生まれるのが「意志」だというのだ。

では、いったい脳は誰のものなのか。驚きの実験で明らかになる、私という存在の根源を妄想する。」

さあ、どうでしょう。自分にはあると思っていた自由意志が、実は幻想であって、実際には存在しない。

脳の物理的な法則によって、つまり原因結果の流れの中で、初めから決まっていた。(これを決定論と言います。)わたしが右か左かを選ぼうとして、迷った挙句、右を選んだとしたら、それはもう初めからそちらを選ぶように仕組まれていたのだということになります。最新の脳科学がそういうことを言っているというのです。

もしそうだとしたら、どうでしょう、人生つまらなくありませんか。「わたし」という存在が何のためにあるのか、意味がないと思いませんか。そうなれば何をやっても、遺伝子のせい、物理法則のせいということになってしまいます。

実際、自由意志は幻想だという考えを持つ人はモラルが低下し、不正行為や人を見捨てる傾向が強くなるというデータがあるそうです。自由意志なんかないという“真実”(?)を知ってしまった人間は悪魔になるということでしょうか。神とか自由意志とかいうのは宗教的幻想だったのでしょうか。

しかしNHKがいつも正しいというわけではありません。実はこの話には、NHKが放映していない事実があるのです。意志が起こる前に脳は考えているという事実は覆りません。それでもなお自由意志があることを裏付ける事実が判明しました。

 そもそも人間に自由意志がないかもしれないということになったのは、1983年にベンジャミン・リベットという生理学者が行った実験によるものでした。今からちょうど40年前です。ずいぶん昔の話ですね。

その実験で分かったことは、人間が行動をすると決めたときよりも前に、つまり無意識の状態の時に、具体的には0.5秒前に、脳はその行動の準備を始めているということでした。

たとえばわたしが最後に一個残ったおまんじゅうを見て、「ああ食べたいな」と思い、「よし食べよう」と決断して、手を伸ばす。ところが実際には、わたしが迷った挙句、食べようと決める前に、脳の方は食べることに決めていたということなのです。

ということは、わたしがどんなに「いやしい」と思われるのは嫌だなと逡巡したとしても、それは無駄。脳は食べることに決めていたということになるわけです。脳が決めたことには逆らえないわけです。

けれどもリベットはこの結果に満足できず何とか自由意志の存在を証明できないものかと実験を重ねましたが、結局はっきりしたことは分からないまま世を去りました。

その後の2015年、ドイツのジョンデュラン・ハインズ博士が実に興味深い発見をしました。人間は行動を起こす0.2秒前なら、その行動を中断できる。これが意味しているのは、何かをしようと決めることはできない、何をするかは脳がこちらの気づく前に決めてしまっているので、自分で決めたとは言えないわけですが、自分には脳が決めたことを0.2秒前ならキャンセルできるということです。

たとえば、またお饅頭好きのわたしに登場してもらいますが、脳の指令によりおまんじゅうに手を伸ばそうとするけれども、0.2秒前なら「いや、食べない!」と拒否できるのです。

 

そこでこういう言い方がなされるようになりました。Free Will、英語で自由意志ですが、Free Willは存在しないけれども、Free Won't、自由拒否、は存在する。

何かをするということは脳が決めていることなので自分の意志ではないけれども、それをしないということは自分で決められる。つまり残したい考えの方はそのままにしておき、棄てたいえの方は拒否する、そういう意味でなら自由意志はあると言えるわけです。

もちろんそうなれば自由意志の定義を少し変えなければなりませんが。つまり、自由意志とは、脳が送ってきた行動への促しに「気づく」こと、そして「選ぶ」ことだということです。

 

そしてみなさん、これこそまさしくマインドフルネスなのです。

 

 

 

 

 

... unconditional quality of love ... Your imperfections are part of this experience of love.
あなたの諸々の弱さは無条件の愛を経験するのに必須の要素です。(訳/早坂)

 

 

 

◆クリステン・ネフが2000年代に入って間もなく提唱した概念「セルフコンパッション」、これを高める介入は、従来の「自己効力感」や「自己肯定感」を高める介入よりも介入効果が期待できるものであることが分かってきており、わたしもある程度は注目していました。
◆しかしながら、上に紹介したK. D. StrosahlとP. J. Robinsonの鬱の自助本[1]の一節は、さらに衝撃的で、わたし自身にも強い解放の体験をもたらしました。


 

[1] Kirk D. Strosahl, & Patrica J. Rovinson, The Mindfulness & Acceptance Workbook for Depression, Second Ed. Using Acceptance & Commitment Therapy to Movw Through Depression & Create a Life Worth Living, New Harbinger Publications. 【翻訳】カーク・D・ストローサル/著、パトリシア・J・ロビンソン /著、種市 摂子/訳『うつのためのマインドフルネス&アクセプタンス・ワークブック:ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)でうつを抜け出し活き活きとした人生を送るために』(星和書店)

 

 


カウンセラーであっても普通の人間ですから、日々嫌なことを経験し、自分の弱さ、不甲斐なさに重い気持ちを抱えている上に、クライアントの悩みに自分の心を添わせる訳ですから、心理的負荷は相当のものです。

こうした苦痛の体験は、以前のわたしなら、更に勉強する方向に駆り立てる原動力となっていました。問題解決に一歩でも前進する方が、落ち込んで気晴らし憂さ晴らしに逃げ込むよりも、短期間で気分を改善することができるからです。

ところが日々の生活ではこうした対応がいつもできるとは限りません。そんなときはやはり凹んだままでいるより仕方ありません。

ここで出会ったのがこの言葉でした。

... unconditional quality of love .... Your imperfections are part of this experience of love.

あなたの諸々の弱さは無条件の愛を経験するのに必須の要素です。(訳/早坂)


これはセルフコンパッション・エクササイズの一節で、これを日常の中で思い出すだけで、苦しさそのものに変わりはないけれども、だからこそ大きな愛に包まれ補われているのだ、という不思議な解放感が沸き上がってきました。

以下にこの瞑想エクササイズの全文を掲載します。(翻訳はすべて早坂の責任に帰するもので、意訳した部分や変更した部分があります。)

 

セルフコンパッションの瞑想
それでは、心地よく座りながら、目を閉じ、二・三回深呼吸をして新鮮な外気を吸い込み、よごれた吸気を吐き出しましょう。

深く長く呼吸し、一つ一つの呼吸を大切に行います。心を空っぽにし、集中して、自分が真実に愛されている場面を想像してみましょう。そこに身を置いてください。

この体験を自分の中に造り出すとき、どんな感情も、思考も、記憶も、あるいは身体感覚も出し惜しみすることなく、完全に愛されている様子を想像してください。

だっこされている様子を思い出すかもしれません。あるいは優しく触れてもらっているかもしれません。

そうしてくれている人は小さいころのあなたにとてもやさしくしてくれた人です。ひょっとしたら、思い出すのは、あなたの伴侶と共にいるときかもしれません。

その人の腕を感じながら、美しい夕焼けを見ているかもしれません。

もしかしたら誰かにハグされているのを思い出すかもしれません。

久しぶりにあった人が、あなたにあえてとても喜んでいる情景かもしれません。

心の中に湧き上がる温かい感じ、その愛があなたの上に注がれるに身を任せてください。

これらの感覚を今現在にとどめておくように努力してください。

この愛の感覚の無条件の性質に気づきましょう。

これは自分で獲得するものではありません。これはひたすら制限なく与えられるものです。あなたの諸々の弱さは無条件の愛を経験するのに必須の要素です。

 

そこで、やってみてほしいことがあります。自分自身でこの愛のシャワーを与えることができますか。

誰かほかの人が与えてくれたのと同じ無条件の愛を、自分自身で与えてみてください。

ちょっとUターンして、このポジティブなエネルギーを自分で自分に向けることをやってみてください。

自分を愛する体験は、色々な形ですることができます。これを感覚的なものに例えてみる、たとえば色に例えてみることもできるでしょう。

どんなものでも内的な体験が立ち現れたら、それをそのままにしておきましょう。

そしてその感覚を愛のエネルギーと共におらせるのです。

もし疑いの瞬間が現れ、そこに飛び込みたくなったら、その疑いもなくそうとせず、そのまま愛のシャワーを浴びせかけてください。

あなたに向かってやってくるものはどんなものでも完璧なのです。

ただそれらに愛を注ぎかけるだけでよいのです。

 

現在65歳のわたしにとって心理学を学ぶことは宿命だったように思えます。なぜそうなのか。わたしの心理学の遍歴を書いてみました。

 

 

 

 

 

2歳の記憶
築山のようなところで同じ年ごろの子どもたちと一緒にいました。彼らは動作と内面が一致しているように見えました。でもなぜか自分は一致していない。そのことがとても苦しかった記憶があります。

小学2年生
当時わたしは自分の癇癪に悩んでいました。学校の帰りに近道して山の中を歩いていたとき、ふと気づいたのです。「学校は何でも教えてくれるところと期待していたのに、心の中のことは何も教えてくれない。」失望していました。自分で考えるしかないのか、と。

小学5年生
わたしの父は高校の事務員でしたが、用もないのに寄り付く生徒たちがいました。

そんな中、校長からカウンセリングを頼まれたといって父は勉強を始めました。

1960年代後半のころです。その時の父の言葉。「言って聞かせて変わるのではなく、聞いてもらえると変われるんだ。」この言葉に衝撃を受けました。

青年期
仲の良い友達と話すのが好きでした。できるだけ「聞くこと」に徹しようと思っていました。でも話すのも好きで、友達が心を動かされた様子を見ると、気持ちが通じたような気がして嬉しかったです。

神学校時代
牧師になるための勉強をしていました。そこで初めてロジャーズの来談者中心療法を学びました。「無条件の肯定的配慮」、「共感的理解」などはすでに知っていましたが、「自己一致」は難しいと思いました。

牧師になって
ルーテル神学校で一般向けに開講していたカウンセリングの講座に参加しました。

また筑波大学の心理学教授、内須川洸先生より「交流分析」(TA)のことを教えていただき、勉強を始めました。そこから以下のような心理療法の学びが始まりました。順に紹介します。

交流分析(TA)
チーム医療の研修に参加するようになり、杉田峰康先生から教えを受けました。

リアリティーセラーピー
柿谷正期先生の講演会を開催したのがきっかけで先生の主催する講座に参加し学び始めました。

精神分析
松井紀和先生のケースカンファレンスに参加。また同先生より約1年にわたって教育分析を受けました。

サイコシンセシス
国谷晴朗先生より、最初は行動分析、やがてサイコシンセシスを学びました。ロロ・メイやヴィクトル・フランクルに傾倒し、彼らのを読み漁ったのもこの頃です。

脱カルト・カウンセリング
統一協会をはじめとするカルト被害者の救済のために働いていました。

 

留学
サンフランシスコ神学校に入学しDoctor of Ministory (宣教学博士)の学位を取得。
米国、バークリーのリッチ・バーン神父のマインドフルネストレーニング講座に参加し、また同神父のスピリチュアル・ディレクションを受けました。
帰国後、長崎のクラークスン神父よりイグナチオの『霊操』をベースに霊的指導を受けました。
アントニー・デ・メロの指導書を元に毎日の瞑想を開始しました。

非暴力トレーニング
櫻井淳司牧師より非暴力トレーニングを学ぶ会を主催し、さらに米国から来日したチャック・エッサーとの出会いから、子どもへのセラピー(プレイセラピー)に興味を持ちました。

幼稚園園長時代
幼稚園園長の職務の中で、米国でホールディングセラピーの問題点を改良して阿部秀雄が完成させた「抱っこ法」を学び、そこから派生して Theraplay のトレーニングを受けました。
発達障害児の教育の必要から「特別支援教育士」(S・E・N・S)の資格取得講座を受け30ポイント取得しましたが、最後の指導実習(6ポイント)は受けず、資格は取得していません。しかしここで行動分析について深く学ぶことができました。

カリフォルニア臨床心理大学院   日本校(CSPP)
臨床心理の修士課程を修了しました。
ここで学ぶ中で、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)に出会い、これまでのすべて学びが、ここに収斂しているのを見出しました。

ACT心理相談室開業
現在に至っています。毎日の学びが楽しい反面、弱っている人々を助けられないでいることがとても悲しい、そんな毎日です。

マインドフルネス遍歴

 

初めまして。

カウンセラー 早坂文彦です
(臨床心理士/公認心理師/ACTセラピスト)

 

マインドフルネスを学び始めたことには何か宿命的なものを感じています。何かわたしの人生を導いてきたのか、振り返ってみることにしました。

 

 

幼少時代 
わたしの父は浄土宗のお坊さんで「念仏の念は今の心と書く」と言っていました。

その所作は今この瞬間に常に集中しているようで、その立ち居振る舞いには心惹かれるものを感じていました。

 

思春期
生きる意味は今この瞬間にしかないのは知っていました。けれども「今」を充実して生きるすべを知らず、絶えず欲求不満でした。

 

青年期
聖書との出会いを通して、人間の価値は行為ではなく、存在そのものにあることを知り、深い安堵を得ました。その後牧師になることを決意し今に至っています。

 

1996年~1997年
米国留学。バークレーでカトリック司祭、リッチー・バーンのスピリチュアル・ディレクションを受け、本格的にマインドフルネスを学び始めました。
帰国後、20分程度の瞑想を、毎日行っていました。

 

2002年
「黙想の家」を立ち上げ、瞑想について発信し始めました。

 

2011年
アライアント国際大学・カリフォルニア臨床心理大学院(日本校)に入学。ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)に出会い、これまでの学びと修練がここに結実していると思い、専心するようになりました。

 

2021年
仲間とともに「仙台マインドフルネス瞑想の会」を立ち上げ、現在に至っています。

 

2022年2月
一日2時間から3時間の瞑想を行うようになりました。それから現時点までで

720時間瞑想を行ったことになります。テラヴァーダ仏教の文献を読み始め、「無条件の愛」あるいは「あるがままを慈しむ」がわたしを導いてきたことに思い至りました。