【一言入魂】表現者への道 -3ページ目

【一言入魂】表現者への道

表現者、マツダヒロエのドタバタ奮闘記。

自分の非を認めず、他人に責任を押し付ける奴はマジで人生やり直した方が良いと思う。

フォーーーーーーウ!!!!!


たまに毒吐くマツダだよ。ゴメンね。

しかし、厄介なのはそういう人って大抵無自覚なんだ。

非を認めないんじゃなくて、本当に自分は悪くないって思っているんだ。

そういう時は黙って証拠をスクショするよ。

何かあったら提示出来るように。

言っても無駄な人には、余計な体力は使わない。


毒吐きここまでー


MARUさんから5月公演のもろもろチラ見せ攻撃を受けました。


さーて次回の水色公演は?


・マツダ3度目の〇〇〇?

・ピンチはチャンス?イシケンチャンス!?

・金はスリルショックサスペンス


3本でお送りいたします(適当)


やばい、こういう感じのお話好きかも。笑

まぁ間違いなく、自分は大変な役になりますな。

楽しみになってきたぜ!!

年末年始から食欲が止まらんとです。

前までお腹いっぱいになる量も余裕で食べちゃうし

かと思うと30分くらいでおなか鳴るし。

胃袋が大きくなったのかはたまた消化するのが早くなったのか分からないけれど

とにかく気付けば「腹減ったー」の毎日です。

もう孫悟空になった気分。

いざとなれば、超サイヤ人になれるかも。


いえ、なれません。


今度、銭湯に行ったときに体重でも測ってみようかな。


この調子でジムへ行こうかな、なんて思ったり。

食ってジム行って久々に身体づくりしてもいいかなぁと

良い気分転換にもなるしね。


前々から言ってるけど、プールにも行きたいっす。

自分、小学生の頃はプール教室へ通っていました。

2mプールで顔上げ平泳ぎ&立ち泳ぎ2時間ってときもありました。ええ、ガチのところでした。


小学生の頃は肩の筋肉すごくてパンパンだったんだぜ!!

今じゃあ想像つかないくらいヒョロヒョロだけどな。。


水泳って、均等に筋肉が付くから良いんだよね。

カッコイイ身体になりたいっす。

やるかどうかはさておき。

何より水着を買うとなると高いんじゃぁ。。


さて、これから自分用の桃色旋風の朗読の台本を刷って、アクセントや読み仮名などを確認しないと。

ぶっつけで完璧な読みが出来る人って尊敬します。

自分はそういうタイプじゃないからね。

ま、何事も経験ですな。





一人朗読用の原稿も著作権フリーのところを探すと結構あるのね。

ただね、朗読動画やネットラジオは5分以内に抑えたい。

そうなるとなかなか難しくてなぁ。

ゆうに6分は超える。

探しながら自分でも作る方向で考えてみよう。

宝くじが当たったら自分の家を建てたい。

2階建の家を建てて
地下が音楽スタジオ
1階が稽古場兼リビングキッチン
2階が自分の部屋、寝室

稽古場を抑えなくても家で稽古が出来る
稽古終わりはそのままみんなで呑んで
終電を逃した人は、上の階の別室で寝れば良い。

そんな暮らしが出来たら最高だろうな。

夢は膨らむばかり。



…宝くじ買ってないけど。

はっはっはっはー!!!!


昨年は大変お世話になりました。
本年も宜しくお願い致します。

ということで、ご挨拶遅くなりましたが2020年になりましたね。

新年早々すみませんが、わたくし今年厄年でしてね。

てっきり前厄だと思っていた。。
それは昨年だったというね。苦笑
数え年メンドクサイ。。

さて。そんなわけで今年は厄祓いでもしようかと考えていたのですが、厄祓いすると別のものまで落ちてしまいそうな気がするのでやめます。笑

昨年も色々あったけれど、なんだかんだで乗り越えられましたし。
要は気の持ちようというか。
死ななきゃ何とかなります。

今年は自分のブログもちゃんと更新していきたいなぁ。
しょーもないネタでもいいよね。自分のブログだもん。好きに使わせてもらいますよ。

毎日お正月だったらいいのにね。
グータラしてゲームして最高。
もう働きたくない。猫になりたい。

ウソウソ。そろそろ動きます。

こんな自分ではありますが、これからも宜しくお願い致します。



マツダヒロエ


突然だが

今朝、じいちゃんが亡くなった。

母さんのお父さん。私は片親なので、じいちゃんは一人しかいないわけだが

じいちゃんが40代の頃に母さんが生まれたので

とうに90歳は超えていたと思う。


涙はちっとも出なかった。

「じいちゃんが亡くなった」との母からの連絡にも「ごめん、そっちに帰れそうにないや」とだけ伝えた。


冷たい人間に思われるかも知れない。

実際「まだ生きていたんだなぁ」が正直な気持ちだし

長崎の老人ホームで過ごすじいちゃんの情報は全くこちらには回って来なかったから。

だから、生きているかも死んでいるかも分からないじいちゃんの存在を

ふと思い出しては

あの頃は楽しかったなぁと思ったりしていた。


私はじいちゃんと小さい頃から会っていたわけではない。

まぁ、片親って時点で察してくれているとは思うけれど

まず、私の母は未婚の母で

私を身篭ってから、自立するまで女手ひとつで私を育ててくれた。


私が初めてじいちゃんと会ったのは小学校高学年になってからだったと思う(あんまり記憶がない)

それまで私という存在は知られていなかった。つまり、初めましてで孫として紹介されたわけだ。

あっ、ばあちゃんは知っていたらしい。

当時はばあちゃんもまだ生きていて

1年に1回は実家に帰って一緒におせち料理やお雑煮を食べたりした。

決して裕福な暮らしではなかったけれど

母しか家族の繋がりを知らなかった私は

温かい繋がりが増えて嬉しかった。


中学2年生のとき、ばあちゃんが亡くなった。

元々病気持ちで、それが風邪によって悪化したらしい。

亡くなる前、じいちゃんから「ばあちゃんがおかしくなった」と泣きながら電話がかかってきた。

ばあちゃんの葬式では泣いた。

でも、自分の意志で泣いたのとは違う。

母さんが泣いていたことに感化されたのだと思う。


それからじいちゃんは長生きした。

最後に会ったのは、就職する前だったか。

何を話したか全然覚えていないけれど

じいちゃんの笑顔はハッキリと覚えている。


じいちゃん、ありがとう。

ゆっくり休んでください。