怖いから働くことから逃げていた

目の前のことから逃避していた

 

あぁ、またできてないなぁ って感じてて。

ダメ人間だなぁ って思うループにいた。

 

 

そういう風に感じたあと、ふと

でもどうしていつも考えるのをやめてしまうんだろう?

と思った。

 

 

 きっと、どうやって攻略していいか分からないから

 攻略した先が、全部大変そうに見えるし、

 どうせ自分はそれができそうな人間じゃないからだろう。

 

 

 

 

でもそれって、自分の力を放棄してる

どうせそんなことできないだろう  って捨ててる 

ってことでもあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

ここで思った。

私の場合は将来がはっきりと分からないから

考えないでいる。不安だから考えたくない。

 

でも、考えるってのは未来を決める作業だし、

 

分からないから放棄するんじゃなく、

分からないから作っていけるし、

分からないから決められる ってことでもあるんじゃ?

 

 

今の延長=どうせ~ ダメダメな未来  

だけど、

 

未来を決める=未来を今から選んでそこに着地する 

こともできる。

 

 

 

 

叶うの当然と思ってるものは叶うんだから

 

叶うのが当然と思って

したいことをを作っていけばいいんじゃないか。

 

だから、未来を自分で好きなように

決めていいんじゃないか と気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

この恐れは何だろう?

 

考えていくと、いつのまにか

じいさんの死んだときのことを想い出していた。

 

 

結局恐れを見て向ぬふりして、恐れにのまれていたなぁ。

 

老いや、生や、死など 怖いことをはっきり見ようとしないで、

自分の中の恐れを育ててしまっていたんだなぁ。

 

 

 

優しくしたら、老いを進めてしまうんではないか

私が本当の気持ちを伝えたら、悪い方に向かってしまうんではないか。

そっちを選んだら、祖父が死んでしまうんではないか

 

 

 

そんなことを思って、伝えたいことを伝えなかった。

やりたいことをしていなかったなぁ。

 

だから、恐れが勝って、フラットにものを見れなかったし、

良くなる想像ができなかったんだなぁってさ。

 

 

 

 

 

 

結局、恐れの正体を見ずに、恐れを増幅させてる。

 

悪いことが起こったらどうしよう って恐れから、

問題解決のために自分が動くことも、

他の人に相談することも禁じてる。

 

 

 

その想像を言葉にしたら、困ってることを誰かに相談したら、

恐れていたことが現実化してしまうんじゃないか。

そんな恐れがあって、

 

それじゃ、どっちにも動けなくて、抱えてるしかなくて、

辛いよなぁってさ。

 

なんかそんなことを思って。

 

 

 

 

 

 

あぁ、これは自分が持ってるパターンだなって気づいた。

 

幼なじみの子に嫌がらせされて辛かったときも、

部活の怖い先輩の時も、卒論のときも、

このせいで、相談できなかったなぁって気づいたんだよ。

 

 

パターンを崩せば、違うやり方ができるかもしれない。

 

分からないから怖いなら、決められないから怖いなら

 

恐れを潰していこう。

 

 

分かる部分を明らかにして、分からないときの対処法を考えておこう。

最悪のときの対処法を想像しておこう。

そしたら心配が減って、

肚をくくって動き出せるかもってなんかちょっと思った。

 

 

ビビりだから、またずっと向き合えないでいるかもだけど、

なんかそれすらも開示できたらいいと思った。