人とうまくいかなかったときって、

 

相手が悪いんだ、とか、

私がこうしたら良かったんじゃないか、

もっとこうしてれば、

仲たがいするようなことにはならなかったんじゃないか、

って思いがちだけど、

 

 

 

 

全力のそのままのわたしを出して

相手と縁がなかったのなら、

それは私の求めている人ではないのかもしれない。

 

自分が悪いわけでも、相手が悪いわけでもなく、

ただ、相手と合わなかったのだ。

 

 

全力のそのままの自分が相手を深く傷つけてしまうなら、

それは大元を言えば、自分が悪いわけでも、相手が悪いわけでもなく、

ただ合わないだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしい話だけど、

寂しさと悲しさと依存心から、

過剰に人に寄りかかりたくなってしまうときがある。

 

 

そういうときに人に会うと、

話を聞いて欲しいという強い思いや、

話を聞いてくれる人に対する恐怖心で、

 

私は変に暴発してしまったりして、

その人に迷惑をかけてしまうことがある。

 

 

 

 

相手にも申し訳ないし、

自分でもそうなったら手が付けられないから、

迷惑をかけないように、

普段はなるべく自分の感情はコントロールしているのだけど、

 

一番助けてほしいときに

自分が爆発してしまうものだから、人を頼れない。

 


そういうときに、

どうしたらいいかわからなくなってしまうんだ。

 

 

 

 

 

もし私のわがままが許されるなら、

どうしても自分の気持ちを受け止め切れずに

想いがあふれて止まらないとき、

 

感情がぐるぐるして、考えれば考えるほど

ドツボにはまってどうしようもないとき、

考えるのをやめようとしてもやめられないとき、

 

 

ただそっと、何にも言わずに私のそばにいて

気持ちを共有してほしい。

 

自分でもどう扱ったらいいか分からない自分の

扱い方を教えてくれる人がいい。

 

 

私が感情的になって、ずっと喋りっぱなしで、

子供の自分全開になっても、攻撃的にヒステリーになっても、 

ただ、いつもと変わらずそこにいてくれる人がいい。

 

うん、うんって、ずっと私の話を聞いてくれる人がいい。

それをすることが好きで、苦にならない人がいい。

 

 

 

 

そんな私を白い目で見ないで、

ダメな子って見捨てないで、

こうしなきゃダメでしょって否定しないで、

信じてくれる人がいい。

ただ信じて私を待ってくれる人がいい。

 

 

もし私のわがままが許されるなら、そういう人に出会いたいし、

自分が一番、心の中にいる子供の自分にとって、そういう人でありたい。

 

 

 

これを読んでそんなことを考えたよ。