結局は、その人が、自分で、見つけるしかないもの。
いくらどうしたって、そこまではできない。
その人にとっての正解は違うかもしれない。
それを言う人を信頼していないと、内容に納得していないと、
受け入れられない。
その心苦しさが、ある。
自分の中にあるものだから、冷静に見れなくてな。
同じにしようとする圧力が働くんだ。自分の中で。
心屋の考え方だって、原始反射だって。その他こうしたら~と言われるものは、
その人にとって、やったら上手くいったっていうことでしかない。
自分の価値観を捨てて、一部か全部かわからないにしろ、他の価値観で染め上げる行為でしかないから。
でも、それで生きてきて、いろいろあって、とてもつらいなら、そう思ってるなら。
違う考え方を取り入れてみるのもアリだと思うよ。
結局は考え方を受け入れられるかって、信頼の問題なのだ。なんとなくそう思う。
その人をどれだけ信頼してるか、ちょっと変なこと言ってても、この人なら、、ってことがある。
これは怒りに反応してるんだな、と思いながら書いてる。。。
そして、広めるってことは、そういう行為なんだろな、と。
そしたら、称賛と同時に反発が来るのは必然なんだろな。
そこをどれだけ反発がない形にできるか、相手が納得してから、納得するまで、できるか、ってこと。
ほんとは反発されてもいいんだろうけど、でも、できるだけわかりやすい形にしたいってのは
ある、かもな。
この反応が来るのだって、大元をたどればきっと、父さんとじいさんの対立あたりに反応の根があるんだろうから。 どちらも好き、どちらの言ってることもわかる。感情的にそうなっちゃうのがわかる。(少なくとも私の分かる範囲では)
だからなおさら、対立を解消したいというね。 これは私のエゴでしかなくて、
だから私がどうこうするものでも、できるものでもないけど。