宇野千代さんの『恋愛作法』にとても素晴らしい文章があったので、書きとめておこうと思う。
「人間は、蝶々や猫ではありません。もっと正確に言うと、古代民族や原始民族、つまり文化の最も低い時代に生きていた人間は、やはり自然界の動植物と同じように、人間性の最低線で、あの短い、ぱっと開いて瞬間に消えてしまうあの短い期間の「結婚適齢期」と言う規制に、全面的にセイチュウをうけていたと思うのです。自然界動植物の形のままで、結婚していたと思うのです。結婚を動植物的な一種の現象と考えるか、また全く別種の私たち自身の意志で、自分が結婚したいと思っているときが、それが最適の「結婚適齢期」なのだと考えるか。そこが考え方の岐れ路なのです。三十歳を過ぎても、まだ、お嬢さんでいる女性がたくさんいます。彼女たちは自分で、自分の眼で、結婚したいと思う相手を発見するまでは結婚したがらない、―つまり、自分の意志で自分の結婚を決める気でいるのです。
不思議なことですが、女性の「結婚適齢期」が遅れれば遅れるほど、全女性、女性全体の「花と咲く美しい期間」が長く続くのです。現代女性のあの妖しい美しさのヒミツは、全く、この「結婚適齢期」が伸びた、と言う一時にあると思うがいかがでしょう。
新時代の女性は、その全生涯がすべて「結婚適齢期」であると言うのが私の持論です。」
宇野千代さんは、明治生まれの方で、4回結婚し、4回離婚を経験し、その間に小説を書いたり、事業をしたり、結婚中の恋愛などもした、当時としてはかなり革新的な方だったのだと思う。
そんな人生経験豊富な方が語る話に、かつ子はうなずかざるを得ない。
年の若い女性と言うのは、肌の艶やかさやハリ、みずみずしさといったら、年を重ねた女性よりも美しい。
しかし、年を重ねた女性と言うのは、人生経験を経て内面からにじみ出す美しさと言うものがあると思う。
婚活をしていると、よく年齢をきかれる。結婚相談所でもきかれる。親戚からもいい年して…と年齢のことを持ち出される。世間に同調しようとして、「年齢」と言うしがらみに縛られているのではないだろうか。
本人が、結婚したいと思った時、結婚したい人が現れた時が適齢期という宇野千代さんの持論は、素晴らしいと思う。
