僕がテレビ出演で仕事のみなさない判断の行政不服審査グループで気になった

事を捧げます。

 

おはようございます! 金子です。

麻生太郎ってどの様なイメージ?  悪口を言うなら、金持ちお坊ちゃま?

マンガは、祖父:吉田茂さんを散々にバカにして。。。マスコミが四コマ漫画で描いた

文句言う前に土台・雛形・提案を言わず。。。一方的なのが上層部に多い

これは、Youngの頃、OVALの経理部情報課に感じた事 自分の方向性を曲げないとは、全く違う。

上からの目線しか出来ない年寄り上司に時たまいる、自分もそうですが、思い込みや固定概念でもそうなる、

インターネット上の情報は、多すぎる。。自分にとって大切な情報は、人によって違う。

僕は、繰り返し言う。。知識労働は、ある程度インターネット上で確認出来る。

難しいからくり・仕組みを理解する数学労働が非常に難しい。

叉、自分は、バカだからと言って数学労働に分野に一切やらない人もいる。

僕は、麻生太郎の全て味方する訳では、ない。

マンガが好きのイメージは、多少、僕と共通する所がある。

強いていうなら、麻生太郎は、パソコンは、触るが、スマフォ・iPhone・android等の携帯電話

やらない。。。ガラケー携帯しか使用しない。

多分、iPhoneのような小さい画面だと読めないのだろう!

これは、噂と僕の勝手な予測です。。

法律と言うルールは、時流と共に修正される。。それが浸透するまでかなりの時間が必要なことがある。

コンピュターシステムも同様です。。古い考えのままだと。

他国の競争に抜かれる。。。デジタル庁が出来てから

事務処理の効率化が良く言われる。

各都道府県の公務員若しくは、役所に事務処理効率化が進めば

人間らしい相談だけが残る。 法律に準拠で政令通り。。。それがどうしても欠けている事が多い

 

 

以下の内容。。。著作権侵害なら謝罪します。

 

「マンガにそっくりだ!」 麻生太郎

歴代の首相の中でも、祖父、吉田茂ほど新聞の政治マンガの題材に取り上げられた人物はいないのではないだろうか。

特徴のある顔と個性的なキャラクターがマンガにしやすかったこともあるだろうが、戦後の混乱期にはマンガ的出来事が多かったともいえるのかもしれない。

祖父は「タイムズ」などの英字新聞専門で、日本の新聞はあまり読まなかったが、自分のマンガが掲載されている紙面はよく眺めていた。

ワンマン宰相といわれていた祖父だが、漫画家のペンにかかってはかなわない。

女性や動物にされたり、裸にされたり、風刺されたり皮肉られたりは毎度のこと、辛辣なマンガも多かった。それでも祖父は腹をたてるでもなく、楽しそうに眺めていた。

マンガは写真より特徴をとらえているので、子どもでも親しみがわくらしい。

ある日、祖父が鎌倉に出かけたときの話である。

「人の家を探してまごまごしていると、子どもが四、五人ペースボールをやっててね、一人が『あっ、総理大臣がいる」と言うんだ。そうしたらもう一人が「こんなところに総理大臣がいるもんか、でもマンガそっくりだ、アハハ』と笑われてしまったよ」

祖父は、時折楽しそうにこの話をしていた。

漫画家の中では、なぜか清水崑氏がお気に入りだった。

一度新聞の対談か何かで清水崑氏に会い、どこかウマが合ったのだろう。

清水崑氏は時々大機に遊びにいらしていた。私は、二人が「政治マンガにかけては世界でこの人の右に出るものはいない」といわれたイギリスの漫画家、ダビィツ・ロウの話などに、花を咲かせているのを耳にしたこともある。

私も子どものころ、清水崑氏に似顔絵を描いてもらったことがある。そのとき、清木昆

氏は足の方から逆コマにスラスラと描きだし、最後に顔をつけて「ハイ」と渡してくださった。とてもうれしかったのを覚えている。

清水氏は、

「総理に実際にお会いしてしまってからは、どうしても筆が鈍ってしまう。辛辣な絵が描けなくなってしまった」

と言いながら、それでも遠慮会釈なく、筆をふるった。

”自由湯”と書かれた桶の風呂に葉巻をくわえて入っている吉田茂。桶のあちらこちらからお湯がもれている。

「いつまで?」のタイトルがつけられた、このマンガも清水氏の作品。「いつまでぬるま湯につかっているのか」という皮肉が込められているのだ。

「自然文楽もろもろの総理の表情が豚裏にたたきこまれているので、絵筆の先に写真でも焼き付けるように出てくるんですよ」

と清水良氏はおっしゃっていた。漫画家の中では描きも描いたり、祖父のマンガだけで

四枚立くにのほると話しておられた。

祖父も清水氏と一緒のときは、とてもくつろいでいるように見えた。

「吉田内閣まではのって描いていたけど、岸内閣になったら、もう描くのが嫌になりました」と清水氏が語られていたのをどこかで読んだ記憶がある。

清水氏は、祖父の死の七年後に愛用の絵筆とともに祖父の待つ世界へと旅立たれた。