前回、書き忘れたこと
今回統治体からの話(2)で変更があった自己血の貯蔵に関して
自己血の貯蔵に関して、今までの理解
モーセの律法(申命記12:15,16)に書かれている、肉を食べてもいいが、血を食べてはならず、地面に注ぎだすようにという命令から、体の外に出た血は、地面に返すようにと説明されていた
血は命であり、命は神に属するという理解である
さらに、ユダヤ教のトーラー(スマッシュ)(ソンキノ社版)に書かれているラビの見解では、血は貯蔵してはならず、地面に注いで、その血を食べたり飲んだりできないように土で覆うべきであるという解釈を引用して、貯蔵することを禁じた
つまり自己血の貯蔵は神の考えに反するという理解である
変更点
だが、今はモーセの律法下には私たちはいない
それはイエスの死と共に、新しい契約が発行されモーセの律法は廃されたものであるから
それで、自己血の貯蔵は問題ない
統治体からの話(2)の僕の理解はこれであっているだろうか?
さて
あくまで個人的な考え(独り言のようなものなの)
今までの自己血の貯蔵の禁止に関して、僕だけではなく、エホバの証人の中には、そのことに対して疑問を感じていた人もおられたと思う
それはなぜか
僕が感じていたこと
血の唯一の正しい使用方法は、動物の犠牲(贖罪)に伴う、もしくは関係していることである
そして血は命を意味している
そうした原則を考えると、死んだ動物の命、つまり血を、神に対する敬意、それまで生きてこられた命、つまり血を神に感謝し、お返しすることである
ならば、本人が生きているのであれば、その血は生きている本人にまだ属しているのではないか?
血は命を表しているからである
血を地面に返すことは、死と関連がある
本人が生きているのであれば、まだ生きている本人に属する、血は命そのものを表しているからである
どうだろう、僕はそのように感じていた
今回、自己血の貯蔵が認められたのは大変良いことだと思う
僕は、頭が悪いのかまだまだ理解できないことが多い
毎日が勉強である

