さて、またまさえの話になるが、ある年のお盆
僕が実家に帰った時、まさえが娘を連れて近所のスーパーから家に帰る姿を見かけた
後ろ姿を見ながら横を車で通りすぎた
声もかけなかった

まさえも母子家庭で育った
母親はスナックのママで、毒親
そんな親の子はほんとにいい子が多い
母子家庭って遺伝するのかな

まさえも彼氏がいたとはいえ、認知もしてもらえずシングルマザーみたいなもんだった
まさえの家からスーパーまでは700メートルくらいだったと思う

歩いている二人の脇を通り過ぎ。家に帰った俺は荷物を抱えて2階に
階段を上ると北側に窓があって、まだまさえと娘がゆっくりと歩いていたのを思い出す

何気ないことだけれど、お父さんも一緒にいれば子供の記憶に幸せな時間が刻み込まれたと思う
子供にとって、そういう何気ない普通のことが、後になって幸せな記憶としてよみがえることがあると思う
そういう時間て大切だと思う
手をつないで、まさえと一緒に歩いてあげたかった

まさえの娘の名前は一度聞いたけれど忘れてしまった
どこかですれ違ってもお互いわからない

今はどこでどうしているか
もうまさえの家は取り壊され、道路も新しくなり昔とは全く違った風景になっている
あのスーパーもない
跡地はアパート群だ

全く違った風景になっちまった
トウモロコシ畑も田んぼも何もなくなってしまった

僕の記憶もあいまいになり、昔ザリガニを捕まえに行った水路もふさがれている
僕は昔の記憶を音楽と共に収めているけれど、だんだんと薄れてきている

中学か高校の時にコピーしたYou Are the Flower
ルカサーのソロが圧巻だ
早引きだけがロックじゃないことを学んだ

今聞いても、あの道の詳細までは思い出せなくなっている
まぶしい暑い夏だったは覚えている
けどあの時、娘と歩いていたさなえの姿もおぼろげにしか思い出せない
今とは全く違う風景になってしまった

記憶が薄れていく
それが一番悲しい

もうさなえの話は終わりにしよう
曲の中に封印だ
久々のゆっくりした夏休みだから思い出しただけだろう

もう二度と帰ってこない昔の話