自分は、大抵のことをジャッジしない

つまり判定を下さない

ジャッジしないというのは、良い、悪いなど判定をしないという意味だ

 

もちろん聖書に書かれている悪いことは悪いことで、良いことは良いこと

ただ、人の考え方や、発言、行うことなど、ジャッジしないようにしている

 

それぞれの考えや、考え方

そういう考えや考え方もあるのだなと思う

 

エホバの証人の聖書解釈についてもジャッジしない

今はそう理解しているととらえている

それに従えばいいだけのこと

 

人の持ち物、身に着けているもの、個性・・ほかにもたくさんあるが

いい悪いは判断しない

 

ジャッジをしないので、それほど影響を受けないでいられる

この考え方は、株式投資からきているのだと思う

株が明日、上がる、下がる、それぞれ予測することは自由だ

為替もそう

ドルが買われる、売られる

どちらの見方もある

 

それはそれ、これはこれ

基本的にジャッジしない生き方は穏やかでいられる

人のすることに、いちいちジャッジする頭を使うことは無駄である

人のすることに、いちいち感情を乱されるのも無駄である

 

無駄を省けば、より重要なことを考えることができる

 

ジャッジすることは無駄

ジャッジしたからと言って周りは何も変わらない

 

明日の自分は、今日より成長している

 

周りを変えるより自分を変えたほうがいい

周りのせい、社会のせいにする考え方

 

無駄だと思う