[脳発達過程における「臨界期」開始の新理論を提唱
-神経細胞の自発的活動の抑制で臨界期に至る脳の発達を説明-]
(理化学研究所 2013年10月3日)
<ポイント>
・脳形成の神経活動が内部から外部由来に切り替わって臨界期が開始
・従来の理論では解決できなかった臨界期開始前の現象も説明可能に
・いまだ明らかになっていない脳の発達過程を説明できる基本原理の可能性
<背景>
私たちの脳は、数百億個以上の神経細胞同士がつながり合って複雑な脳神経
回路を構成しています。
この複雑な脳神経回路は、遺伝情報を基にある程度作られた後、脳の自発的な
神経活動や環境からの刺激によってより精巧な回路へと発達します。
特に、ヒトを含む高等生物の発達段階において、脳の働きが環境や経験、
学習によって変わりやすい時期があり、それを「臨界期」と呼びます。
臨界期は、環境からの刺激に応じて神経回路の再編、組み替えが最も強く
見られる時期です。
例えば、臨界期中の動物において片方の目を継続的に閉じておくと、それに
対応する神経細胞の反応が減衰するため、閉じていた目は見えづらくなり
ます。
しかし、臨界期後に同様な実験をすると、閉じていた目でも物を見ることが
できます。
感覚や言語、運動など、さまざまな脳の働きに対応して複数の臨界期が存在
し、関連した機能の臨界期は連鎖して起こることが知られています。
特に臨界期を開始するメカニズムを解明することは、さまざまな脳機能と
その発達を理解する上で重要な手掛かりとなります。
神経細胞に刺激が入ってきたとき、刺激を電気信号に変えて他の神経細胞へ
伝えることで情報伝達が行われ、これが多数の神経細胞間で繰り返し起こる
ことで脳が機能しています。
神経細胞は興奮性と抑制性の2種類に大別され、お互いがバランスよく制御
し合うことで適切に機能を維持しています。
過去のさまざまな研究から、臨界期の開始には抑制性神経細胞が成熟し、
抑制性神経細胞からの入力が増強することが重要と考えられています。
例えば、視覚に関する臨界期が始まる前の幼弱なマウスに特殊な薬剤を投与
して抑制性神経細胞からの入力を増強すると、臨界期の開始が早まることが
報告されています。
また、抑制性神経細胞からの入力の弱い遺伝子欠損マウスや暗室飼育によって
抑制性神経細胞が未成熟のマウスでは、臨界期が始まりませんが、薬剤で
抑制性神経細胞からの入力を増強すると臨界期が始まるという実験報告が
あります。
では、抑制性神経細胞からの入力の増強がどのように臨界期を開始させるの
でしょうか。
その疑問に対していくつかの仮説がありました。
しかし、近年の実験報告から臨界期開始前でも経験に応じた脳神経回路の
組み替えが起こることが発見され、既存の仮説ではこの現象を十分に説明
できませんでした。
そこで、研究チームは、過去の知見を参考に抑制性神経細胞からの入力の
増強が視覚野の臨界期を開始させるメカニズムについて新たな理論を提唱し、
動物実験によってその理論を裏付けることに挑みました。
<研究成果>
(1)自発的活動低下による臨界期開始
網膜から1次視覚野への経路にある神経細胞は、視覚刺激が無くても
常に活動し、1次視覚野へ自発的な入力を送っている。
1次視覚野において、視覚刺激に対する応答に比べて自発的な入力に
対する応答が十分に大きければ片目を継続的に閉じても左右の目の
バランスは保たれる。
しかし、視覚刺激に対する応答が自発的な入力に対する応答に比べて
十分大きくなると左右の目のバランスが崩れ、閉じていた目に対する
視覚応答が減衰する。
(2)抑制性神経細胞からの入力の増強による自発的活動低下
1次視覚野への自発的な入力は低強度・高頻度であり、視覚刺激に依存
した入力は高強度・低頻度である。
臨界期開始時に抑制性神経細胞からの入力が増強すると、視覚刺激に
対する強い神経応答は影響を受けないが、自発的入力に対する弱い
神経応答は抑制されて、脳神経回路の組み替えに寄与しなくなる。
(3)臨界期開始前の実験事実の再現
片方の目を継続的に閉じた場合、閉じた目のまぶたを通して入る光刺激は
解像度が低く、正常な視覚系の発達を阻害する。
臨界期開始前には1次視覚野への自発的な入力の効果で、片方の目を
継続的に閉じた場合でも左右の目のバランスは維持される。
しかし、閉じた目のまぶたを通して入る低解像度の光刺激のため、
両目とも解像度の発達が遅れる。
http://www.riken.jp/pr/press/2013/20131003_1/