[高熱で苦しんだ末に死んだ平清盛 死因はインフルエンザか]
(NEWSポストセブン 2016年5月14日)
「討死」や「謀殺」、「自決」によって英雄の最期はドラマチックに語り
継がれるが、「病」に苦しみ、「病」と闘い、「病」に斃れた歴史上の人物の
悩みはあまり知られていない。
平清盛(1118~1181年。享年63)の死因は何だったのか?
1159年の平治の乱で源義朝を破り、武士として初めて太政大臣となった平
清盛。
平家の棟梁として独裁政権を樹立したが、源頼朝ら反平家の源氏が蜂起した
1181年、謎の熱病に侵された。
『平家物語』の第六巻「入道死去」には、清盛が1週間にわたり高熱に苦しむ
様子が「悶絶躄地して、つひにあつち死にぞし給ける」と描写されており、
身体を冷やす水がたちまち水蒸気になったとも。
2月という季節柄、インフルエンザに罹患した可能性が指摘されている。
※病名などについては『戦国武将の死亡診断書』(酒井シヅ監修/
エクスナレッジ刊)などを参考に記したが、病名や死因については諸説ある。
生年・没年については『コンサイス日本人名事典』(第4版/三省堂)などを
参考にした。
享年は満年齢を基本としたが、出生・死亡日が不祥のものは数え年で表記した
ケースもある。
■監修/酒井シヅ(順天堂大学名誉教授)
(SAPIO 2016年6月号)
http://news.livedoor.com/article/detail/11521324/