このリサイタルシリーズで委嘱を受ける作曲家は、大変だと思います。何しろ、私自身がいったいどういう演奏をするのか、未知数な状況で作曲しなければならないのですから。

前回の「100均グッズ」の場合は、作曲家自らが100均ショップに行って楽器を選定する作業を行うことで、少なくともどんな楽器で作るのかを主体的に決定できました。

しかし今回は、「自作陶器でリサイタルをします」と言われ、「でもまだ楽器が全部できていません」という状態で間際まで引っ張られるという、過酷な委嘱条件です。

そのような無理難題を引き受けて下さった3名の作曲家の皆さんに、まず、深く感謝します。

 


 

見澤ゆかりさんは、私が国立音楽大学の非常勤講師に就任した年に大学1年だった世代で、彼女が上の学年になってからダブルレッスンの担当をしておりました。何群かに空間配置をほどこした管弦楽による卒業作品の指揮を担当(そしたら何と首席になってしまった! 彼女のような作風では予想していなかったことでした)したり、その後の活動も垣間見てきましたが、学生時代から一貫して、ある種の突き抜けた感性と、仏門ならではの達観した世界観、そしてその独特な人物像と相似のえもいわれぬ音楽性には、いつも度肝を抜かれてきました。

 

今回の作品、まずはご本人のノートをご覧ください。

 


 

introduction二河白道

 

二河白道とは浄土教における極楽往生を願う心の比喩である。善導大師(613-681 中国浄土教の高僧。浄土宗を開宗した法然上人が善導大師の説いた「称名念仏」を根拠に立宗したことが日本における浄土教の始まりとなった)がその起源とされている。往生を願う者は臨終の夕べにおいて彼岸である極楽浄土に往生するが、そのまでの道のりには欲にまみれた世界と怒りや憎しみにまみれた世界を抜けていかなければならない。それを視覚的に例え話を交えて表したのが二河白道図である。彼岸の極楽浄土には阿弥陀仏が、此岸のこの世には私たち人間が描かれる。彼岸と此岸の間には一本の白い道が描かれ、右側には水の河が渦巻き、左側には炎の河が燃え盛っている。水は欲望を、火は怒りを象徴している。そして、人々の背後には釈迦如来が背中を押している。

この曲を書いている最中、松平頼暁氏の訃報に接した。浄土宗の檀信徒である氏も必ず阿弥陀仏の来迎を賜ったものと信じる。この曲の題名の最初にintroductionとついているのは氏の思い出を偲ぶものである。(氏に委嘱し初演した篳篥ソロ曲の題名がintroductionであったことに因んでいる)

 


 

まずもって、この作品は、セッティングが極めて大変な作品で、彼岸との境界の白い道を巨大な陶製ウインドチャイムが象徴し、そして双方の世界を、陶製の風鈴を多数つけた木が象徴しています。

 

巨大ウインドチャイムの設営の様子

 

陶製の風鈴を多数つけた木と、リハーサルの様子

 

 

そして、作品の内容も、かなり振り切ったものです。

私の死に様を、とくとご覧あれ?!

 


 

演奏:川島素晴、見澤ゆかり(照明)、城谷伶(黒子)

 


 

 

見澤ゆかり(みさわ・ゆかり)略歴

 

群馬県富岡市在住。作曲家、浄土宗僧侶、篳篥奏者、パフォーマー。国立音楽大学音楽文化デザイン学科創作専修(作曲)首席卒業(2012)。大正大学仏教学部仏教学科浄土学卒業(2014)。Hochschule für Musik Cal Maria von Weber Dresdenにて作曲修士取得(2017)。菊池幸夫、川島素晴、Prof. Mark Andre、Prof. Franz-Martin Olbrisch各氏に師事。The 7th International JOSEPH JOACHIM Chamber Music Competition (Weimar)3位。第32回現音新人賞 冨樫賞、聴衆賞受賞。

篳篥奏者としては古典のみならず、新しい作品の委嘱活動、即興演奏なども積極的に行なっている。また作曲家の枠組みにとらわれず積極的に美術との境目のあいまいな作品を手がけている。

 


 

自作陶器5)金田望《話し方と身振りのエチュード》(2023 / 委嘱新作初演) の解説へ

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