ニニョスに子どもが来るまで
みなさまこんにちわ
フィリピンへ来て約1年半経ったユイです。
詳細はエコミスモブログで今度紹介しますが、
8月よりエコミスモのお母さん達のエンパワーメント及び、
チームビルディングプロジェクトに関わることになり、日々奮闘しています。
大学でもこのようなことを専門に勉強してきましたが、
本と実践は全然違うということをまず体感しました。
そして、お母さん達に対して頭ではなく心で理解してもらうことの難しさや、
さまざまなことに気づかせる難しさを感じています。
でも、その代わり、自分はまだまだこんなに悩んだり、考えたり、吸収したり、
たくさんの感情を感じることができるんだと思うことができました。
たった1年半?1年半も?
この1年半という長さは、人によって全然重みや充実さも違いますが、
私にとってこの1年半はとても重くそしてすごく充実しています。
実は、今年で任期を終えるのですが、
それまで気を緩めず、もっと頑張っていきたいと思います![]()
さて今回は、ニニョスへ来る子どもの背景について少しお話ししたいと思います。
ほとんどの子どもが、DSDW(社会福祉開発省)や、
地域のソーシャルワーカーによってニニョスへ連れてこられます。
それから、ニニョスで預かることができるかなど話し合い、決まります。
しかしそれ以外にも例はあります。
それは先日、私がニニョスへ行ったときの話しです。
私がニニョスへ着くと、警察官2名がニニョスのスタッフと話していました。
私が何かあったのか尋ねると、
「警察にしゃべれない子どもと大人がいて、通訳をしてほしい」とのことだそうです。
私もスタッフと同行させてもらい、一緒に警察署まで行きました。
警察署には、10歳くらいの女の子と、30歳くらいの女性がいました。
話しを聞いていると、どうやらこの女の子とその女性が、
人の携帯を盗み、ここに来ることになったようです。
女の子も女性も、町で物乞いをしている方々で、それで生計を立てています。
しかし、女の子は「人様のものは取ってない、神様に誓います。
その携帯も、私達が物乞いをしているから、ある男性くれただけ」と話していました。
女の子は間違えだらけの手話で、
手話講師のラリー先生ですら困惑しているときがありましたし、
アルファベットも読めないですし、自分の情報もほとんどわかりませんでした。
「親はいるけれどオロンガポから遠い、どうやって帰るのかもうわからない」
とも言っていました。
嘘なのか本当なのかまだわかっていませんが、事実関係を確認できたら、
「ニニョスで引き取ると思う」と、アテエミーは言っていました。
私も少しこの女の子と話をさせてもらいましたが、
嘘をついていてほしくないという気持ちと、これが事実であってほしくない、
つまり嘘をついていてほしいという気持ちがありました。
このように、ニニョスではさまざまな理由により、
子どものことを預かったり、ケアをしています
今回初めてこのような場に立ち合わせてもらいましたが、
現在ニニョスで生活している子ども達も、さまざまな過去を持っています。
しかし、まるで今まで何も問題がなかったかのように、毎日笑顔で生活しています。
もちろん、今も家や家族が整っていない子どもがほとんだと思いますが、
ニニョスの子ども達の笑顔がこれからもあり続けるように、
これからもACTIONはしっかりニニョスの子ども達をサポートしていきたいと思いました。
それでは、ニニョスについてまだまだお知らせしたいことがありますので、
次回は、ニニョスで行われているライブリーフッドプロジェクトについてご報告しますね
フィリピン事務局
赤石ユイ

