今年は明治維新から150年になります。

 

先日、たまたま「ジャポン1867年」という本を書店で見つけました。作者は若きフランス人貴族リュドヴィック・ド・ボーヴォワール伯爵。1866年、当時21歳の彼は世界一周の旅に出、父親にしたためた手紙をもとに旅行記として編んだものの一部が当書です。

 

本来、この世界一周旅行の中心人物は、ナポレオン帝政後のフランス国王ルイ・フィリップの孫となるパンティエーブル侯爵(当時18歳)で護衛役の軍人フォヴェルを含めた3人の旅でした。一行は18664月に英国を発ち、喜望峰経由でオーストラリア、インドネシア、タイ、広東、香港、上海、北京を訪れたのち1867421日に横浜港に入港し525日までの約一か月強を日本で過ごしました。

 

この年は日本では慶応3年にあたります。前年には徳川家茂が没し、慶喜が15代将軍につき、そして年が明けた1月には明治天皇が即位したばかりでした。

 

一方、フランスではナポレオン三世がフランスの国力を誇示するためにパリの万国博覧会を開催し、日本も徳川慶喜の弟昭武を名代とした派遣団をパリに送り込んだのもこの年1867年のことでした。

 

薩長が朝廷の後ろ盾となって明治維新を準備していたこの時期、フランスは徳川幕府が崩れないとみて幕府に接近し、一方のイギリスは薩摩、長州に軍事物資の提供を行っていたのです。

 

さて、日本を訪れた若きフランス人たちは横浜に滞在しながら馬に乗って横須賀や鎌倉を訪れ、箱根の温泉にも足を延ばしました。彼らの目には日本の武士社会がヨーロッパの中世を思い起こさせるような古い価値観に支配されていると映った一方、一般市民については「この地球上で最も温和で礼儀正しい住民」と評価し、日本が「やがて一挙に東洋の一等国になるであろうと思われる」と分析しています。

 

これは直前に訪れた他のアジア諸国の人々が怠惰な印象を与えたことに大いに起因するようでありますが、ヨーロッパ人から見た日本はその文化や国民の資質が一流であることを感じ取ったことに間違いありません。

 

作者はまた、「私は、日本人以上に自然の美について敏感な国民を知らない」ともいい、街道沿いの眺めのよい木陰には必ず眺望を楽しむための茶店があると記しています。このことは当時のフランス人画家たちに大いに影響を与えたジャポニズムとつながる日本人の美的資質を観察したものでしょう。

 

横浜に滞在した彼らは横須賀の海軍工廠や戸部のフランス軍事顧問団宿舎を訪れて日本駐在のフランス人との交流を楽しみ、1866年に外国人居留地のために作られた根岸競馬場でのヨーロッパ人による障害物競馬を見物したのち、日本での滞在を終えアメリカへ出発しました。

 

フランスは最後まで徳川慶喜を支援したまま明治維新を迎えることになりましたが、明治新政府は海軍をイギリス、陸軍はフランス、刑法・民法はフランス、憲法はドイツにそれぞれ学び、良いところを吸収して国を発展させました。

 

その背景には、ヨーロッパ人を驚かせるだけの成熟した文化国家が江戸期に確立し、近代国家の基礎ができていたことがあるのでしょう。

 

 

 

株式会社アクティオ

代表取締役 遠藤薫