#よし、明日から。明日から俺は絶対に変わるんだ。
そう人生に何度も決心した人は多いと思う。
しかし、何度も決心した点からわかるように
変わることが出来ないのである。
#決心には弱点がある。
人間はおそらく決心することが好きであり
なぜかというと決心することは楽しいからである。
決心することが楽しい???
それはどういうことかというと
決心するということは、その先に何かしらの将来像、理想像を自分に持っているのである。
「よおし、明日からダイエットするぞおお。成功すれば、もしかいたら彼女が出来るかもしれないし、モテるようになるかもしれない。服ももっとおしゃれなもの着れるようになるし、友達からもちやほやされるかもしれない。夏には海にも行くことが出来るし、そこで自慢の体を披露することが出来る。もう、、人生変わる!!!」
決心=よおし、明日からダイエットするぞおお。
将来像、理想像=成功すれば、もしかいたら彼女が出来るかもしれないし、モテるようになるかもしれない。服ももっとおしゃれなもの着れるようになるし、友達からもちやほやされるかもしれない。夏には海にも行くことが出来るし、そこで自慢の体を披露することが出来る。もう、、人生変わる!!!
みたいに将来の自分の姿を想像して
それだけで楽しい気分になれてしまうのです。
#そしてその楽しさというのは非常に罪なもので
その楽しさは想像するだけで得られてしまうという
何か努力と交換する必要もない、
誰にでも可能で、いつでも出来る、そんな”お手軽な”楽しさなのです。
#つまり、その妄想をすうるとき、人間(少なくとも僕)は
その楽しさに本来必要な努力を算出し忘れてしまうのです。
そのため、いざやろうと思い立ち始めてみると
あら、大変。
こんなに辛いなんて。しかも理想の自分があんなに遠いところにいるなんて
と挫折・落胆してしまうのではないでしょうか。
#もちろん、将来の希望を持ち、うきうきすることは大切ですが
ただ、うきうきしたいがために希望を持つことは危険です。
そこにはしっかりと代償となる努力を算出してますか?
代償となる時間を算出してますか?
なにを目指すにしても、その目標までの道筋は
妄想したときの速度で進むことは不可能で
誰もが望むようなことにはそれなりの代償たるものが必要。
それを割り切ることが出来るか、出来ないか
そのには大きな溝があるような気がします。
#なにごともそんなに早く手に入れることが出来るわけではありませんが
時間がないと叫ぶほど、人生は短くないように思えます。
まだまだ19歳。悔いのないように生きていきたいものです。