座談会「現代革命と霊性の復権」太田竜・阿基米得・武田洋一、『迷宮』3号、1980年、より
啓明と闇
武田 本誌前号のナチズム特集では、ナチズムがかなり異端的な感性の原住民性を保持しているような民族的伝統を受けつぎながら国家を形成していったということに焦点を当てた。これも男性原理の問題が絡んでいると考えられるか。
太田 あると思う。祭祀権力国家を考える場合、末端の方では祭を通じて人々が宇宙と共鳴しているということが前提として無ければ祭祀権力国家はありえない。元がなくて上だけができるということはありえないのだから、そこで末端の方だけを見るならば、人々が宇宙を確認し宇宙とともに生き続けている要素だけを見るならば、まさにこれこそ本来の文明なのだという詭弁も成り立つ。
武田 けれども、まず、ローマ法王を中心とした祭祀権力のもとにヨーロッパが吸収されていたという大状況があって、ナチズムはそれに対して民族的なレベルで集約させていこうとした。口ーマとナチズムはそのような拮抗関係にあったことも考えておかなければならない。
太田 ゲルマンから見ればローマは巨大な悪魔として人々の心の奥に深い傷を残している。そのエネルギーをナチズムは利用したにすぎない。
阿基 しかし、まだドイツの場合はナチズムを持てただけ優れているのであって、これが日本の場会は日本のローマにあたる天皇問題をす通りして軽薄な精神主義一辺倒でつっ走ってしまったという感じがする。
武田 僕らがこうやって『迷宮』を発行して一種の文化運動を行なっていることが、新しい日本のナチズムを準備している、というような危険性を太田さんは感じているのではないか? 僕らはわりと深刻にそのように感じるところもある。
太田 ……。
阿基 戦前の皇道派よりも国家の本質を見すえた新型の日本のナチズム、戦前よりは質のよい反天皇的皇道派が形成される余地は十分にある。戦前の皇道派は天皇制を維持させるために、末端の祭、新宗教といってもよい、それを弾圧してしまった。が、今度はそんな馬鹿なことはしないだろう。
武田 その意味で、大本教は日本のナチズムの可能性をかつては秘めていたと考える。とはいっても大本教のすべてが悪かというと、そうではなくて、大本教の霊性の中に非常に啓明的な要素とナチ的な要素とが同居していたといえる。
阿基 それがヨーロッパでは、ルドルフ・シュタイナーの人智学とナチズムの二つに分離するという不幸な局面をむかえたわけだが、本来この二つは同じものの二つの側面だと考えなければならない。シュタイナーとヒトラーは双子というわけだ。ナチズムが悪魔的であるのに対して人智学が啓明的に見えるのは、ナチズムの暴走に対してバランスを取るためにシュタイナーがそうしたにすぎない。人智学研究者はそのあたりがよくわかっていないようだけれど。
武田 それで、この種の問題には非常に危険な問題と人類の霊的更新につながるような二つの側面がある。そのへんのところは絶対に見のがしてはならないはずだ。
太田 そう、だから常に時代の核心に触れるような問題、テ—マ、状況、場の設定、理論には極めて危険な要素が潜んでいる。
『迷宮』第3号、白馬書房、1980年7月
