恐らく自分の意思とまわりとの折り合いの付け方が上手くいかなくなる程、思う事が強くなって來ているのかと思う。
何ともめでたい事だ。
自分でこうしたい、ああなってほしいと言う意欲欲求が出るとは、一年生になり環境も変わり、色々試行して感じているのだ。
唯、そのめでたさは、物に當たれば良い乱暴すれば良いキレて泣けば周りが自分の意見にすり寄せてくれると言うものに繋がってはいけない。
いけないと言うか、末っ子にとってそれはこの先自分の生を愉しむ事に繋がらないのではと思う。
周りが合わせるとはつまり、自分で折り合いをつける力を育てない事だ。
森田真生さんは義務教育年齢で悟りをと仰られたが、それに同意する。
世間一般でイメージされている悟りとは違い、仏教ver.3.0.の悟りだ。
それは取りも直さず、自分の心の取り扱いの事であり、モンキーマインドとの穏やかな、しかし厳然とした同棲であると私は理解している。
ならばいかにこの悟りを子どもたちに伝えるのか。
教育機関では、無理だ。
だけでは、無理。
なぜなら細やかな観察と手当てを必要とする話だからであり、家庭内にでもその練習の基礎は求められるから。
内野先生はそれこそ宗教、寺院の出番だろうと仰るが、私は家庭内にまず求めるのが先かと先日話した。
悟らせるためにだけではなく、ちびっこの意見をもっと聞いてみたいから。
こう言った自分の気持ちを表現出来ずにキレるタイミングもまさに心の取り扱い練習帳だと、キレたらチャンスだと加藤先生ばりにワクワクして最近楽しむ私がいる。
先ずは泣き叫ぶならクールダウンを待ち、そのゲームに今日も取り掛かる。
