山本一太群馬県知事のブログを拝見して。
若い世代が老人世代が保守的に支配する経済産業の弱肉強食の世界で、どこまでしたたかに対応できるのか。
企業なんてのは、概ね、例えば、就職活動をしているとよくわかるのですが、
しゃべったことも守らず。
書いたことも守らず。
まさに、弱肉強食の世界。
職安に至っては、責任ある行政というよりも、如何にして責任が発生しないようにするかという感じなのかもしれません。
例、ハローワークインターネットサービスのトップページに
「2024年1月15日 職業安定法施行規則の改正により、令和6年4月1日以降、求人申込みを行う場合は、求人票に以下(1)~(3)の明示が必要となります。
(1) 従事すべき業務の変更の範囲(※)
(2) 就業場所の変更の範囲(※)
(3) 有期労働契約を更新する場合の基準(通算契約期間または更新回数の上限を含みます。)
(※)「変更の範囲」とは、雇入れ直後だけでなく、将来の配置転換など今後の見込みも含めた、締結する労働契約期間中での変更の範囲のことをいいます。
詳しくはこちらのリーフレットをご確認ください。」
とわざわざ書いてあるぐらいなので。
参考資料:現時点でのハローワークインターネットサービス - トップページ (mhlw.go.jp)
求人票が目安にすらなっていない現状に対する職安からの一つの回答という感じなのかもしれません。
生き馬の目を抜くのが「商い」ともいえるような気も。
世代交代により、年寄りがろくでもないことをしないようにする方向性にいくのか。
世代交代を先延ばしにして、例えば、「言ったことも書いたことも守らなくても済むような柔軟なる変更ができる幅のある求人票についてお上のお墨付きともいうものを予め、入手しやすいように」するのか。
まあ、求人票は目安なので、変更の幅が広い求人内容の説明を雇用主から受けても、「大切なことは全て正式な契約書面化するため、単に契約条項化していない段階での単なる仕事の説明内容でしかないものに対して、未だ契約として締結していない」のであれば、雇用側の説明も独り言でしかないのですが、どうなのでしょう。なかなか、度胸と勇気がないとうまくいかない人もいるのかもしれません。
企業からの説明をお役所として受ける時、どのような人達とお役所はお付き合いするのか。
経験豊富な人でないと市政が民間企業により、、、、なのか。
経験がこれからより積んでいく人であったとしても、市政が民間企業により、、、、、なのか。
「、、、、」に入るいろいろな言葉による表現はいろいろ考えられるけれど。
民間はシビア。弱肉強食の世界であり、裁判所が動かなければ「自由度がお役所よりも高いこと」は確かでしょう。
ま、お役所も理不尽な大人の世界ではありますが。
綺麗事で理想論を志高くして、行政を司る。
群馬県前橋市を例にするなら、前橋市の市役所職員が優秀であれば、どのような市長がきても、特に問題なく市政は進むのでしょう。仕事は組織で行うものなので。
群馬県の場合、県政が前橋市のいろいろなことを心配するということは、それだけ、市役所職員の仕事の質について、アレなのかなということなのかは、市役所職員がよくしっているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
そして、市議会というものも。
みんなで仲良く、どのような市長さんでもお仕事ができる「優秀」な人達であるなら、問題になることもあるのか否か。
「信じられない」と断言するのは、市長を取り巻く多くの人の問題処理能力について、どのような根拠により「何を恐れ入るのか」ということになるのかもしれませんね。
つまり、県政からみると「こことここが改善点として、業界から議会、そして、市役所職員について、ほにゃらほにゃで、ここにエビデンスもあり、確実にこうなると群馬県知事として確信しているから『信じられないと断言』している」と明瞭明確に説明できるのでしょうか。
ちなみに、感性については、例えば、少年漫画から少女漫画までいろいろあります。山本一太群馬県知事のブログを読むと好みの偏りについて、格闘系のものが印象深いのですが、どうなのでしょう。恋愛ものから転生の聖女系に至るまで「感性」の対象となるものは幅広く、誰かの感性を評価するほどに誰かのことをより深く知っているのでしょうか。
そして、群馬県政はたとえ綺麗な言葉である「友情」「努力」「勝利」というもので支えられた漫画であろうとも、山本一太群馬県知事の好む某少年漫画がどのような表現をしているのかについて考えたことはあるのでしょうか。
参考資料
群馬県庁を漫画で紹介する時、少年漫画によくありがちな格闘シーンのようなバイオレンス的な表現で職員の問題解決に向けた「友情・努力・勝利」を描いたら、お役所らしいと「感性」の波長が合うのでしょうか。
組織としての「感性」。地方公務員法第33条(信用失墜行為の禁止)の法令に対する「権威」とは何か。どのような感性により支えられるべきなのか。
そして、「感性」の違いがあるとき、どのように「選挙」に反映されていくのか。
政治的にみた「お役所」に対する「感性」のお話は、人それぞれとも思われるので、抽象的な法令が予定している「権威」の文言と現実のイメージの齟齬のお話のような感じもするので、難しいお話なのかもしれません。
そして、その「感性」の共感の仕方が、お役所と公共事業をする企業の「感性」に影響をどのくらい及ぼすのか。
「世代交代」がきちんとした若い世代の未来を担う「感性」を社会にもたらすことにも思いをはせて。
念のために注意書き。
風評被害はいけません。
事なかれ。
追記:2024/01/28
もう少しわかりやすくブログ記事本文の「地方公務員法第33条の「権威」とは何か」を「地方公務員法第33条(信用失墜行為の禁止)の法令に対する「権威」とは何か」に修正しました。
[参考資料]
地方公務員法
(信用失墜行為の禁止)
第三十三条 職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。
法令上の用例
現代政治学における「権威」
備考
公務の執行における「政治的な権威を後ろ盾に与えられた業務を遂行しているにすぎない」ことについては、以下を参照のこと
「公務員の職業倫理教育についての一考察」(著:近畿大学経 営学部 中谷常二 日本経営倫理学会誌)39頁(PDFファイルのURL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabes/22/0/22_KJ00009870409/_pdf/-char/ja)
つまり、後ろ盾て、大切ですね。