No. 1,385 ACアダルトチルドレン札幌
「わかる」ときの喜び
こんにちは😁担当カウンセラーの村上です。いかがお過ごしですか🍀2/19の北海道は暴風雪でなかなか大変です、、今年の雪事情は近年にないドカ雪で事故も多発して悲痛ですが、それでもめげずに生活する道民は素晴らしいと自画自賛します😆春の到来🌸が待ち遠しいなか今日は、「わかる」ときの喜びと題して書いてみます。
生きづらさは個性と同様にひとつとして同じものはないと思われますが、カウンセリングを通じて私が感じる、クライエントが回復し前向きな気持ちになっていくときの共通点がいくつかあるように思います。
その一つに「わかる」ときの喜びがあり、その気づきが生きづらさを長年かかえ続けている人の変化に関係しているように見受けられます。
「わかる」って恐らく誰にとっても気持ちがいい感覚ですよね。点と点がつながるような、薄らぼんやりしていたモノが明確になるような、命中🎯するような、そんな快感。
自分のなかで「わかる」に到達すると、ことばにならないほどの様々な感情が動き、まるで手が届いたような、探し物が見つかったような、すべてがカチっ!と合致🧩するような、何か安堵する感覚もあるのかもしれません。
ただ、こうした変化というのは日々そのことについて考えて思いを巡らせる必要があるようにクライエントを見ていて感じます。
「わからない」とき、その状態が与えるストレスは小さくないと思われますから、自ら気づき「わかる」瞬間というのは、解放感がありやり遂げた達成感🏆もあることでしょう。
こうした心の動きに至るには、生きづらさが関係していて、長らく考え続けても出せない答えが本人を制限したり縛ったりするのかもしれません。
ご本人はあまり自覚がないことが多い印象ですが、第三者の私としては伺った内容に衝撃を受けることもしばしばあります。映画やドラマのなかだけの話かと思いきや現実として語られるときの戦慄に慣れることはないです。
なぜなら人ひとりの人生において、本人の自覚・無自覚にかかわらず、望まない時間になるような、人生そのものを無抵抗に変質させてしまうような体験がいくつもある印象だから。
今までよく生きてこられたと驚愕するときも珍しくないですが、誰かと比べられない体験なので本人は自分がどこかおかしいのではと、自らを疑い自己不信になっている方が多い気がします。
あまりにも深い心の傷が本人を操作するような、無自覚なままの行動が生み出した結果を受け止められず、理解不能なものとして処理しないまま放置するような心的状態で、でも何とか生き延びたくて希望を捨てずに毎日を過ごされている人が私の知る限りで何人もいます(だからってひとりじゃないよ、とは言えないけれど生きづらさを何とかしたいと自分なりにがんばっている方がいるよと言いたいです)。
強烈な体験や告白できないくらいの恥ずかしい体験って誰にでもある気がします。私も同じです。生きていること自体が、、恥。みたいに長らく思っていました。
自分の言えないでいる体験は、むろん自分しか知らないしわからない訳だけれども、ひとりで抱え続けていると、、私の場合はつらかったです。あれこそが孤独だったんだなと今なら言えます。
アルコールや食べることに依存したり人に依存したり、、自分のなかを直視できなくて、向き合うことができなくて、でもなんとなくズンと心は痛くて。自分の出自や親を恨んで自暴自棄になったときもありました。他人から見て"普通"でいることに必死でした。でも手に負えないくらいたくさんの悩みを抱えた自分には無理でした。挫けて諦めるギリギリでした。心底その日暮らしでした、、でも今はそんな自分だったことを後悔はしていません。
さみしかったな、という思いや悲しかったなという思い、、そんな思いがあると「わかる」までに時間がかかりました。そんな自分を認めるのに苦労しました。弱い自分としか思えなくて、とてもカッコ悪く情けなくて、衝動的に消えるために15年ほど毎日アルコール摂取していた気がして、そんな勇気がない自分をまた悔しく思うような恥ずかしい存在みたいにと、ますます自分を追い詰めました。
自分のなかには恨みや嫉妬することや、劣等感や罪悪感が想像以上に鬱積していることに気がついたのはアダルトチルドレン(AC)という概念に出会えたからでした。心理学や精神医学の情報だけではわからなかったです。AC概念には唯一無二のドラマがあり、しかし普遍的な人は自らの力で変化して成長できるという記録が詰まっています。変化の過程では自分のことが好きという思いより自己嫌悪が圧倒していることを「わかる」自分が自分じゃないみたいでした。
痛みに目を背けたくなることがありますが、本人の苦闘がまるで私の体験とも重なることもあって、「どうやったらこの人みたいに変われるのだろう?」と、頭というか意識が少しずつ変わっていきました。
何がわからないのかもわからない状態からのスタートでしたが、「わかる」ために想像力を働かせて、私自身の心の端っこから感じてみました。
クライエントのなかには近似の体験をされた方もいらっしゃって、思わず親近感に引っ張られそうになりますが、ダメダメと意識を整わせ、目の前の人は何をわかりたがっているのだろうと集中します。
『生きづらい状態から生きやすい状態になるために自分は何がわかれば良いのだろう?』
とても大きな質問ですが、まずはココから始めて、少しずつ段階的に掘り下げたり細分化したりして、自分が自分のことを「わかる」ことが大事かなって私は思います。
説明書を見ないで組み立ててみたものの完成品は本来あるべき姿とは微妙に違うことがデフォルトで不自由なのは変えられないみたいな、熱を持って好きなことを語ったら相手からドン引きされて落ち込むような、がむしゃらにがんばったのに期待するほどには報われないような、好きな相手が同じ気持ちではないことに落胆しつつ隠して笑顔でいるような、成功して幸せを謳歌する人を表面的には祝福するも心中では妬み一色で、いつも周りの目が気になって萎縮する自分が嫌いだし、精神的にひとりぼっちで失望していて、誇れるものは何も無い気がして毎晩ゲームをしたりSNSを通じて他人の人生を眺めたりして寝落ちするけれど、朝になっても将来への希望がもてなくて悲観し続けることにも疲れて、、
でも他に何をすれば良いのか実はわからない、、、、
、、、人は、
「わかる」を体験してみる。
きっと自分のことを
昨日とは
かすかに違う視点で
でも能動的に
眺めようとしている
自分に気がつくのかもしれません。
🎯 気持ちがいいよ😁
























