3/11金曜日、被災。


被災、というと大袈裟かもしれない、というか私が体験したそれはそれほど大きなことだったのか、実感がない。

私は、その時普通に仕事をしていた。こないだも揺れたし、ぐらいの感覚で危機感とかもなかった。

みんなが逃げろというので、階段を駆け下りた。

外に出ると、グラグラと地面が揺れて、同じように外に避難した高校生たちが甲高い声で叫んで、

別に、そんな大したことでもないのに、なんて内心覚めてた。

ただ非日常的な状況に心が少し揺れただけで、そんな大したことじゃないと思った。


主任が、帰宅命令を出したから、先輩の車に乗せられて自宅へ向かった。

別に、大したことじゃないでしょう、と思っていたのは、確かだった。


けれど、車に乗り込んで、カーナビを付けたとき、肝が、こう、ひやっとなるというのか、

現実がぐっと押し寄せてくるような感覚になった。


それは、私の地元の映像で、でも、全然違う光景だった。

何度も何度も訪れて、頭の中に普通にふわっと浮かんでくる懐かしい海沿いの場所が

海水の濁流で建物と自動車が渦巻いている映像。


津波の速報。被災、そうか、被災したのか。現実が、じわりと背筋を冷やした。


波にのまれるってこういう感じなんだ、と唖然とすると同時に、

家のことが心配でぞっと悪寒がさした。


何度も親の携帯に電話をかけた。

でも、つながらない。


電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため~


繰り返されるアナウンスにやきもきして、そのたびに心臓の鼓動が早くなった。

家電にかけても、つながらなかった。

不安がますます強くなった。

波にのまれて、携帯が水没したのかもしれないと思った。


アパートまでたどり着いて、足早に部屋に帰ると、

棚から倒れた洗剤や、雑貨や、調味料が散乱していて、

電気をつけようとスイッチを押しても部屋の明かりはともらなかった。

あきらめて、手を洗おうとしたけれど、水が出なかった。

もちろん、ガスもつかなかった。


まだ夕方だったから、外の曇り空が部屋の中を薄暗く照らしているうちに部屋の中を整理した。


肌寒いけれど、暖房はもちろんつかないし、

かといって部屋着にくるまるにも何かがあった時に逃げられる恰好でもないので

そのままコートを何枚も重ね着し、布団にくるまった。鼻の頭が冷たかった。


そのうちトイレに行きたくなって、トイレにたったけれど、

水は一度流しただけでちょろちょろと途切れた水流になった。

幸いなことに、通販で買いだめしたペットボトルの水が何本かあったので、

その水を使って水を流し、手を洗い、うがいをした。


次第に日が落ちて、普段は店舗の電光や街頭で明るい外の景色が黒一色になった。


いよいよ、本格的に、気持ちがざわめき始め、また、何度も何度も両親に電話を掛けた。

何度かけても、聞こえてくるのは人工的なアナウンスだけだった。


さらに、運悪く携帯の電池の残量が残り一個になってしまい、

私はあわてて乾電池式の簡易充電器を探した。

前出張に行ったとき、不必要かもしれないけどと思いながらも買っておいたものだ。

まさかこんな形で役に立つとは思いもしなかった。自分の過去の選択をたたえた。


部屋がしきりに大きく揺れた。

ぐらりと大きな揺れが続いた。

静寂と暗闇の中での振動は、想像以上の恐怖だった。


焦る気持ちを抑えようと、何をすべきか、必死に考えて、

懐中電灯と、ラジオを探した。


ラジオは普段聞いている音楽プレイヤーに内蔵されているFMを聞いた。

こんなことなら満タンに充電しておけばよかった、と後悔しながら電源残量を見た。

無駄遣いはできないと、部屋が揺れた時だけへットホンを耳に当てて、電源を入れた。


「身の回りの安全を確認してください。落ち着いてください。揺れは必ずおさまります」

というアナウンサーの声だけが、私のたよりだった。


携帯は、誰かにかけてもつながらなかった。


メールは、時間はかかるものの、送受信できた。

この時ばかりは、メールが心のよりどころだった。


人から、大丈夫?と言われるだけで涙が出た。


孤独と不安が押し寄せる中、時間はとてつもなく遅いペースで、勝手に進んだ。


カーテンを開けて外をみると、どこの家も明かりがついていなかった。

国道を車が行き来するたびにかすかに明かりが通り過ぎていくだけで、

色という色がごっそり吸い込まれたような闇の世界だった。


そんな時、空を見上げると星だけがやけにきれいで、まじまじと見つめてしまった。

たぶん星座の形をしているんだろうなっていうきれいな配列をしていたけれど、

いったい何の星座なのかわからなくて、こういう時知識がないのは本当に残念だと思った。


それから、闇は一層深まって、余震も当然のように続いた。

FMプレイヤーも携帯も刻々と残量が限界に近づき、絶望感にさいなまれた。

ひどく孤独だった。


「今から迎えに行くか」と叔母から電話がかかってきたときは、

思わず涙がでて、しばらく止まらなかった。

何の涙なのかわからないけれど、とにかく号泣した。

トイレを我慢していた分、余計に涙が出ていたのかも、

と冗談にならないことを思ってみるが、しょうもないのでやめる。


叔母が迎えに来てくれたのは、夜の10時を過ぎていて、

私は心からほっとして、叔母の車に乗った。


血のつながりのありがたさ、優しさのありがたさをあの時ほど感じたことはないかもしれない。


それからは、叔母の家で過ごした。


実家とは連絡が取れなかった。

不安で仕方なかったけれど、叔母と話しているときや

買っている犬と遊んでいるときは(といっても全然なついてくれないので独りよがりなのだけど)気がまぎれた。


叔母の家は停電ではあったけれどガスも水もとおっていたから

食事やトイレに困ることはなかったし、電池のストックが少しはあったから

携帯の充電もぎりぎりの状態ながらもしのぐことができた。

叔母が作ってくれる料理は、とても心が落ち着いた。


あとは朝から晩までラジオを聞いた。

地元の情報はほとんど入らなかった。

市役所も津波にやられたという話だった。


親からも連絡はない。こちらからもつながらない。


ラジオでは、地元で緊急用電話が設置されたという話をしていた。

きっと両親たちなら連絡してくるだろうと思っていたが、二日たっても連絡はなかった。


大丈夫、と、無理かもしれない、という気持ちが入交り常に不安定な状態だった。


そんな時、ラジオのリポーターが、私の地元に取材に行った報告をしていた。

うちの近所まで足を踏み入れた彼女は、「言葉にならない」と感想を述べ、現状を語った。

寝たきりの祖父がいるうえ、波が予想以上に届いていることを知り、

私は諦めのほうに気持ちががくんと傾いた。


その放送を聞いたのが、叔母と車でスーパーに買い物に出かけたときだったから、

叔母は私に気を使って一人で店内に入り、私は車の中で「おかあさん、おかあさん」と声を上げて泣いた。


辛い現実が、真実味を増して目の前に押し寄せてくるようだった。


それまでどうして泣かずにいられたのだろうと思うほど、胸が苦しくて、泣いた。


ひとしきり涙を流して、何に満足することもなく、苦しみと不安だけを振り絞って、涙は枯れた。


タイミングを見計らったかのように叔母が買い物袋を提げて戻ってきて、

私たちは無言で家まで帰った。


叔母が、ラジオの安否確認にメールを出してみようといった。

その頃、ラジオでは被災地の安否を確認するために家族や友人たちが呼びかけをしていた。

「死んでるなんてことはない。そんな嫌な予感はしない。でもきっと避難所とかでつらい思いをしている。

きっとみんなラジオは聞いていると思うから、励ましの言葉をかけてあげよう」

叔母の言葉を信じて、自分を奮い立たせて、家族にメールを打った。


しばらくラジオを聴いていたが、いくら待っても読まれないので、次第に眠気に襲われて、

そのまま私は眠ってしまった。


「読まれてるよ!送ったやつ、読まれてる!」と叔母にたたき起こされたのは真夜中だった。

朦朧とする意識の中で、うれしいともほっとするでもない異様な心地よさを感じながら

アナウンサーが読み上げる私のメールを聞いた。

それを家族がきいていることを願い、また眠った。

聞いてくれているんだ、と思うことで、なんとか自分を保てていたのだと思う。


電話がなることも、つながることもなかったけれど、

メールは、いろんな人たちから届いた。


会社の先輩、高校の友だち、大学の友達。

みんな心配してくれて、知っている情報を教えてくれた。


私は思いのほか友達がいたんだなあと驚いた。

私はいい人たちに囲まれて、幸せな人間なんだな、とそのとき思った。


周りに囲まれて、連絡がないことも、悔しいけれど、もどかしいけれど

いろんなことを受け入れなければならないのかもしれないと腹に決めた。


そして、叔母の家も電気が復旧し、テレビがついた。

携帯の充電ができるようになった。

パソコンが見れるようになった。


そして、テレビでは、地元の映像が流れた。

見知った場所が変わり果てた姿。

道路に散乱する材木、泥がなだれ込む家々、建物が倒壊した跡。

現実は、思った以上に悲惨だった。


叔母が泣いた。

私は体が、心臓がぐっと一回り小さくなった。


そして、最悪の事態を、受け入れなければいけないかもしれないと、思うようになった。




非通知の電話がかかってきたのは、その夜だった。

母の声だった。


お母さん!と奇声に近い声で答える私に対して、母は冷静だった。

「まず聞いて。お母さんたち無事だから。みんな無事。今家にいるから。」


心臓がばくばくした。


「今災害非常用の電話からかけてる。

今一人か?おばちゃんに連絡して一緒にいなさい」


いまおばちゃんちだよ、と言うと「おばちゃんに代わって」と言って叔母にかわった。


私はぴょんぴょんはねた。

犬が私のことをなんだこいつという顔で見上げていたけれど、気にしなかった。


叔母は母と何やら話をし、そのまま父にかわったらしくまた話をしていた。


お父さんに代わって、話がしたい、と叔母にねだり、そのまま変わってもらった。

父の声がして「元気か?」と聞かれると、元気だよ、と答える前に嗚咽になった。

なぜだろうか、父の声を聴いて、涙が出た。


「おばちゃんに困ったことがあったら何でも言うんだよ。おばちゃんにかわって」


少しだけ話をして、まだ叔母に変わった。

そのまま叔母が電話をきった。


ものの一分も話をしていないと思う。

それでも、生きている、ということが最高にうれしくて、たまらない気持だった。


その日、私は誕生日だった。


家族の安否、それが人生最高の誕生日プレゼントだと思った。

安堵というのはこういうことをいうんだな、と思った。


けれど同時に、私はこっち側からあっち側に行ってしまった。


今まで張りつめていたものがしゅるしゅるっとほどけて、

あっという間に私は「ラッキー」な側に来てしまった。


それまで不安の渦の中にいた私は、

孤児になる覚悟でぐっと心臓を引き締めていたはずなのに、

あっという間に気が楽になってしまった。


孤独に渦巻く中で、武者震いにも似た感覚と

胸からつっかえて出ていかない緊迫感を抱えていたのが

本当に嘘のようにどこかへ行ってしまった。


あっという間に、立っている位置が変わってしまった。


自分が、嫌になった。

いやしく思った。


でも、家族が無事だということを知り、心の底からうれしかった。


人は、自分さえよければいいというけれど、

これもそうなのだろうか。


今まで実家の映像がテレビで出るたび食い入るように見ていた自分は

そこそこの関心で見つめるようになった。


嫌だな、と思った。

こんな自分が、あからさまで、情けなかった。





その後、私は実家に帰った。会社も休んだ。

会社も、休んでいいと言ってくれたから、気兼ねなく休んだ。


実家は、あった。

みんな生きていた。

不便はあるけれど、命あるだけで幸せなのだ。

そういう、出来事だったのだ。


詳しいことはここでは書かない。



それから、一週間以上も休んだあと、私は会社に復帰した。


でも、正直、私はまだ、被災と現実の間に立っている。

実家で目にした光景と、匂いと、感覚がしっかり残っているのに

ここでは、普通に時間が流れて、普通に仕事をしている人がいる。

普通に冗談を言って、普通に髪を切って、普通にご飯を食べる人がいる。


あまりにも、差がありすぎて、あまりにも、普通すぎて、嫌だ。

これでいいのだと思うけれど、その社会の流れにすっと溶け込んで流れていけるほど

私は案外気持ちの整理ができていなかったのかもしれない。


私は、最近あまり食欲がない。

まったく食べないというわけではない。

でも、少しものを口にするとむっとするような感覚になる。


自分がぐらぐらといつも揺れているような感覚になる。

気づけば手が震えている。

些細なことで涙が出そうになる。

無理して大袈裟に悪いことを言ったり、冗談を言ったり

とにかく大袈裟に何もかもふるまっている自分がいる。

そんな自分が、嫌になりながらも、嫌な奴だなと思いながらも

結局そんなことを繰り返してしまう自分がいる。


私は、どうしたらいいかわからない。私は、この一週間を元通りに戻せていない。


仕事は、している。

久しぶりに出社して、朝いちで電話がなって、

それを取ったとき、相手があまりに普通に話すので、

それが当たり前なのにちょっと動揺して、

普段自分がどんな言葉づかいをしているのか思い出しながら

普段どういう仕事をしているのか思い出しながら、こちらも対応した。

変な感じだった。


そわそわしながらも、お昼になって、夕方になって、

挙句の果てにいつものように残業をして、

周りの席の人とおしゃべりをして、帰宅した。


とても、ふわふわした感じだった。

会社では、いろんな人が声をかけてくれた。

いじってくる人もいて、楽しい会話、をしていたはずだ。


それなのに、帰り道、自転車でいつもより暗い道を一人走ると

今まで感じたことのない孤独にさいなまれた。


ひどく、孤独だと思った。

誰かと話がしたかった。

でも、誰と、何を、話したいのかがわからなかった。


今も、わからない。

とにかく、孤独で、変な感じで、もやもやした。いや、今もしている。