戦後、20年単位で世界の国々を見たとき、国や地域の盛衰は、各々のリーダーシップ(政治経済上の戦略実施)とガバナンス(政府の統治機構)に依存している。

 

世界には、優れた国家戦略を選択し、安定した政策で教育や福祉を充実し、経済産業の競争力を継続的に高める国々がある。

 

1980年代、私は、シンガポールで製造業へのコンサルティングをしたが、政府職員も企業経営者たちも、他の途上国とはまったく違っていた。

 

アイルランドも2000年に国家戦略を調査したが、かつて西ヨーロッパの最貧国が、シンガポールと同様、今では、国民一人あたり収入は、日本の倍である。

 

どちらも、かつては、意欲のある有能な若者の多くに、捨てられてきた国である。

 

もう、30年間、経済が停滞したままと言われる日本は、どうだろうか。

 

選挙区では、立候補者のPR、議会では他の政治家の不祥事を追及し、党利は追う。

 

しかし、各々、選挙ではアピールするキーワードだけの空疎な競争を強いられ、政治を長期に考える余裕はあるのだろうか。

 

政治の問題の根本は、有権者にあるのだという意見もある。

 

しかし、一般の日本人有権者の倫理性や知的レベルは、世界のトップクラスにある。

 

例えば、犯罪率で言えば、多くの国々の1%しかない。しかも、日本の政府機関の統計データは、たいてい他の国々より、正確である。

 

世界トップクラスの有権者が選挙をしていても、問題が継続するとすれば、それは、制度の問題であると考えるのが、自然ではないか。

 

障害は、かつて欧米諸国が開発し、現在、世界の標準となった投票による「選挙制度」にあるのではないか。

 

米国は、女性や黒人などへの選挙権の拡大を「民主主義」の実現としてきたが、選挙時の集金と宣伝競争が、これほど激しくなるとは、予想さえ、できなかっただろう。

 

結果を決めるのは、政策の議論ではなく、外からは、まったく見えない互恵取引や資金の流れなのだ。

 

第3代米大統領ジェファーソン(1743年~1826年)は、自分の墓に大統領であったことを記述しないで欲しいと言って亡くなった。

 

「大統領になれたのは、自分の力でなく、周囲の人たちのおかげだ。」

 

という言葉を残している。

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ジェファーソンは、私の母校:米国バージニア大学を創立した人物で、
私は、何度か彼の墓地を訪れ、記述を読んだ。

 

HERE WAS BURIED THOMAS JEFFERSON  
 (ここにトーマス・ジェファーソンは眠る)

 

AUTHOR OF THE DECLARATION OF AMERICAN INDEPENDENCE   (アメリカ独立宣言の著者)
 

 OF THE STATUTE OF VIRGINIA FOR RELIGIOUS FREEDOM
 (信教の自由を認めるバージニアの法の著者)

 

 AND FATHER OF THE UNIVERSITY OF VIRGINIA  
  (そしてバージニア大学の父)

そして、これ以上の言辞はない、とも。
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フランスを初め、ヨーロッパ諸国は、異教徒に礼節を欠く風刺漫画にも、画一的に「表現の自由」を支持しているようだが、「デモ」や「大きな会議」は、解決にならない。

 

単純なキーワードだけでの空疎な宣伝競争による選挙制度が、世界中で人々の思考を停滞させ、社会を混乱させていく。

 

小さな個人が、自由に話せたとしても、誰も聞いていないとすれば、「言論の自由」と言えないだろう。

 

健全な言論とは、本来、双方向のやりとりでなければならない。

 

経済産業も技術も教育も発展し、有権者の知的水準が高まっている現代社会で、選挙制度だけが、世界中でほとんど発展もなく、陳腐化したまま、取り残されている。

 

そのため、長い歴史から生まれた人類の深い知恵が活用できず、社会に埋もれる優れた専門性が活用できない。

 

「現行の選挙制度には、学びがない」ため、

 

有権者の意識変革もできないのではないだろうか。

 

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以下、日本を含め、世界の様々の事例から見て、現行の選挙制度を変える必要があると思われる10の理由である。

 

1) 投票数が、正確に集計されたかどうか、誰も正確性を証明できない。
 

例;十全の選挙管理が行われている日本でも、度々、確定投票者数と獲得票数の合計が一致することがない。

 

また、頻度は少ないが、意図的な票の水増しや廃棄も伝えられる。

 

海外の有名事例では、2000年の米大統領選挙の際、フロリダ州で票数がきちんと数えられず、大騒ぎとなった。

 

各地域で開票に携わる数百人~の人々の倫理観と作業の精度に依存しているが、正確性を確認する方法はどこにもないのである。

 

2) 立候補者と影響力ある大組織との間での裏の互恵取引の影響が、大きい。

 

開発途上国に限らず、裏での賄賂や互恵取引が、有権者の意思に大きな影響を与える。

 

現在の選挙では、多数の票を得たものが、政治家になるが、それがより良い政策を生むかどうか、疑わしいのだ。

 

有権者が正しい意見を形成するためのプロセスが、制度として欠如しているからだ。

 

3) 特に社会的に弱い立場の有権者の意見を聞く機会がない。

 

これこそが、力のない個々人にとって、不満の蓄積原因であり、テロ発生の遠因でもあろう。有権者の多数が、「社会的手抜き」をする原因でもある。

 

原子力発電については、何人もの技術者・学者が、危険性を訴えていたが、政治家が、謙虚に意見を聞く公的制度はない。

 

彼らは、皆、審議会などで有権者の声を聞くというが、倫理観の高い一般有権者の多くは、政治家の卑しさ(票欲しい+金欲しい)を知っており、政治家に近づかない。

 

4)制度として、問題解決に必須の 「小さな会議(質問と納得がある)」がなく、投票行為だけ。

 

100年以上前に欧米で選挙制度を設計した当時、盛んであった事前の有権者間の「小さな会議」がない。

 

高度に発展した産業や技術の前に、国や地域を良くしたいと望む人々が学び、考えを共有する場が、制度化されていない。

 

5) 選挙のため立候補者たちは、過剰な自己犠牲(時間、機会、お金)をしている。

 

個人的な大きな犠牲が、後々の不正な経費請求や業者との腐敗した関係の原因になり得る。

 

他にいくらでも仕事のできる優秀な人材であれば、なおさら、選挙運動は、社会経済上の大きなロスである。

 

6) 選ばれた政治家は、政治本来の仕事よりも、有権者向けの自己宣伝のために時間とお金を浪費する。

 

自己宣伝は、政治家(=生活者として次選挙のための活動)としては当然の行為であるが、本来あるべき政治活動ではない。国内外の政治経済産業を考察し、長期に間違いのない、より良い政治をしていくことこそが、政治家の大切な使命であるが、そんな暇は限られるのである。

 

7) テレビ新聞などのメディアによる驚愕報道やゴシップ記事が、有権者の意思決定に過剰な影響を与える。

 

イスラム教を風刺したフランスの漫画雑誌(Charlie Hebdo)に限らず、視聴率や部数を気にするメディアは、正確さよりも、センセーショナルな記事が持ち味である。

 

メディアの殆どは、目先の利益(高い視聴率や売上部数)を目標として、番組制作をし、記事を掲載するのであって、社会や世界を良くするためではない。

 

8) 有権者に、立候補者を理解し、政治を深く考える機会がない。そのため、皆が、短期的な見方を取りがちである。

 

政治家が得意とする政治セミナーに出るのは、有権者の0.1~0.2%だけである。

 

セミナーでは、一方的に政治家が、主張を述べるだけ。

 

投票所に立候補者全員のこれまでの実績、考え方などの展示や、数分間のスピーチ映像があっても良いのではないか。

 

立候補者の「人となり」もわからないのに、どう投票するのか、有権者には、当然の疑問であろう。

 

9) 政治政策説明が、トップダウンだけで、ボトムアップがない。上から下への一方通行になっているために、仮に良い施策が実施されたとしても、選挙民を動機つけせず、時には、不満が蓄積し、テロの遠因となっている。

 

日本的経営の良い面は、小集団活動・QCC(品質管理サークル)・ワイガヤなどの「小さな会議」を重ねることで、従業員が互いに学び、組織の上位構造に意見を具申できることである。

 

つまり、どの組織にもあるトップ-ダウンだけでなく、下からのボトム-アップを常備していることである。

 

ボトム-アップが制度化されていない中、殆どの政治家が、現場(政治を忌避する傾向の実務家が働く)から遠いところで政策を立案するため、度々、実態に則していない政策を実施する。

 

10) 論理的な矛盾がある。例えば、ある立候補者は、経済を課題とするが、他の候補者は、教育とする。賢明な立候補者は、「皆が、安心できる社会を!」と、争点を避けるのである。

 

有権者は、リンゴとオレンジを比べ、より良い政治に導く政治家を選ばなくてはならないが、現行では、政策論争ができない仕組みである。 

 

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日本に限らず、世界中で国家債務が未曽有の高レベルに達しているが、通貨制度上(数字表現)の問題であり、モノとサービスが流れるという「経済の本質」においては、それ自体が、問題であるわけではない。

 

(政府は、通貨発行せず、借りるのが、世界標準の通貨制度)

 

簡単な言葉だけで選挙を戦う習慣が、政治家の思考力を奪っていると同時に、争点(難題)を避ける立候補者に有利に働く選挙制度が、人類を健全な方向に進歩させない。

 

あなたの地域では、政治家の人々は、尊敬されているだろうか。

 

政治は、子供たち、若い世代にとり、憧れの職業だろうか。

 

もし、そうでなければ、それこそが、政治が良くならない原因ではないだろうか。

 

清廉なあなたが、汚れたイメージという理由だけで、できるだけ政治家を忌避したいと思うのであれば、それこそが、制度上の問題なのだ。

 

政治家は、地域や国家の代表として、一つの憧れであり、尊敬の的となり得るような制度を考案・実施することこそが、日本を良くし、世界の国々に平和をもたらすことになると信じるのである。