勝抜き熟議選挙では、最終的に選ばれた政治家と同じグループの「小さな会議」参加者は、全員が、政治家の任期中、アドバイザーとなる。
4回の「小さな会議」の参加者が、計40名であれば、任期中、全員がアドバイザーとなり、仕事の評価者にもなる。
アドバイザー数の、例えば、4分の3以上が、駄目出しすると任期中でも、政治家は、辞任する。
現状の日本のリコール制度は、非常に難しい。しかし、勝抜き熟議選挙では、喧々諤々のオープンな議論で、リコールできる。
リコールが成立した場合、前回選挙で「最終会議」に残ったメンバー同士で、再度同様の熟議をして別の人物を選ぶ。
20人での「小さな会議」を採用した場合、最終会議に残ったメンバー数は、20人だけとなるが、その最終会議が、4段階目であれば、既に3段階を経て、選ばれた人たちである。
選挙率が、20%であれば、20% x 20% x 20% = 0.8%であり、既に3回の熟議会議で選ばれた人たちであるから、リーダーとしてそれなりの見識の人達である。
ただし、半年以内に任期終了であれば、最初から勝抜き熟議選挙を行うこととなる。
リコールは、比較的に簡単だが、誰がリコールしたのかが、明白なので、責任ある姿勢が求められる。
熟議は、目の前の人から選ぶと言う意味で真剣勝負である。
1回でも勝ち抜くことは、名誉なものとなる。
お父さんやお母さん、学校の先生が、一回でも選ばれたら、子供たちは感心して、何を主張したの?
なぜ、支持されたのと興味津々の質問が続く。
そういう選挙となる。
ただし、仕事を犠牲にしたり、金と時間をかける選挙運動は、一切禁止である。
(従来、選挙に金と時間を使うため、有権者の見えないところで、「不適切な互恵取引」で政治が暗くなってきた。
また、政治家を目指して有能な人材が、何年も、自分の顔を売るため、仕事をしないでいることも多い。しかし、それ自体が組織、産業、経済、さらには、日本全体にとっての損失である。)
握手も駅立ちも、多くの人たちは、5秒も接していない。
(握手で何がわかるのだろうか? 手の暖かさと政治の関係は、なく、政治に必要なモノは、適切な政策とその実行力である。)
チラシの内容も、殆どイメージだけだ。
(チラシを書く程度の能力で政治ができるなら、世界に大学、大学院は、不要である。)
演説も「前に向かって共に!」とか、「市民の声を政治に!」と耳触りの良い言葉を羅列していることが多いが、
複雑化した現代のグローバル社会にあって、
政治家は、「何を(平和、医療、福祉、防衛、文化、教育など)するか?」よりも、「各政策をどのようにするか?」が大切である。
にも関わらず、現在の選挙の仕組みでは、深い議論はできない。
愚かな主張でも、有権者を魅了すれば、人気が出たり、エネルギー問題などはもちろん、どの国でも、産業や経済、組織運営にそれほど知識経験のない人材が、多数となり、
実務的に有能な実務家が少なくなる。
そして、流行に乗り、体力の限り選挙運動で名前を連呼した人物が当選したりする。
彼らの目標は、政治家になることであって、政治をすることではなくなる。
考えない有権者や理不尽な選挙運動の仕組みに、立候補者たちは、選挙活動を通じて、消耗させられるからだ。
従来、社会のリーダーとなるべき立候補者が、政治社会がどうあるべきかではなく、どう人心の波に乗るかを考えているが、とんでもないことである。
政治家関連で愚かな事件が起きると、有権者は愕然とする。
しかし、
立候補する者が、「ハーメルンの笛吹き男」か、「オオカミ少年」か、ただの「お騒がせ好きの人」なのか、
本当に優れたリーダーになり得る人かを確かめる機会が、ない。
そして、愚かな政治家を選んだ有権者らには、何が起ころうと、反省の言葉もない。
現在の選挙のしくみの前には、立候補者のみならず、有権者の知識、経験、倫理性、人を見る判断力など全部が、無意味に近いのである。
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