近年、「多文化共生」ということで各地の自治体が異文化理解のイベントをしている。

 

しかし、どの国でも地域でも、厳密に言えば、「多文化共生」は、あり得ない、成立できない概念というのが、私達日本人の基本的理解になければならない。

 

中国人でも、朝鮮韓国人でも、欧米人でも、日本人とまるで異なる習慣を日本社会が受容していたら、日本人が築いてきた社会規範が瓦解する。

 

例えば、厳密に日に5回の礼拝をしていたら、日本の学校の公的スケジュールは、成立しない。

 

社会としての可能性は、私達日本人が、彼らを理解したうえで、しかし、彼らには、日本の規範に従わせる道しかない。

 

「そんな無茶な!」と思う人があれば、その人は、世界史年表を今一度、見るべきだろう。

 

世界で唯一日本だけが、紀元前より連続して赤い色の一本の帯で続いている。


日本は、世界一安定した国なので、それが、当たり前と勘違いしている。


これまで日本には、かつてのヤクザを含めて、犯罪は少なく、穏やかな行動の人達が圧倒的である。


日本のヤクザと諸外国のマフィヤのような勢力とは、悪さのレベルが段違いで、比較にならない。日本のヤクザには、意識をした役割と規範があることが特徴である。


このようなことは、当たり前のことでは、ない。

 

私達日本人は、大陸から離れていたり、自然環境など、諸条件に恵まれている。

 

歴史は、明らかにしているが、自らを守る手段を行使しない民族は、世界史から消える。

 

消えた民族は、無言なので、残った民族には、好都合だ。

 

韓国では、戦中、慰安婦をしていた高齢のご婦人たちが、最近でも日本政府を訴訟してきたが、

 

「日本の敗戦時、なぜ、朝鮮人慰安婦を全員、殺しておかなったのか? 慰安婦の8割は、日本人女性だったが、なぜ、日本人は、誰も訴訟していないのか。」という声が、日本では、聞こえない。

 

日本人は、心底、誰にでも優しい民族である。

どんな勝手な主張をする相手にも、心情を理解してやろうとする。

 

異文化異民族に対して、そこまで、厳しく・・考えなくともと思う人があれば、一人で海外で外国語で仕事をしておらず、日本国内で生き、黙っていても権利が守られてきた人たちである。

 

英語の会話トレーニングで、Assertive(主張的に)に話す訓練があるが、相手の意向や立場を考えてから、発言する日本の言語文化の逆が国際社会では、正しいということである。

 

やりたい放題、言いたい放題の民族と、相手の意向を考えてから、少し主張する日本の人々が、共存した場合、長年のうちにどうなるかは、明白であろう。

 

日本の政治には、世界の中、日本の立ち位置を俯瞰できる人材が必要である。

 

イデオロギーで束縛された党・派閥でなく、政治家個人の思考力が大切だと思うのである。