2008年~2011年にかけ、私は、「欧州復興開発銀行:EBRD」の資金で、2008年以降、旧ソ連地域の組織を顧客にマネジメントコンサルティングを提供した。

 

その中、1989年までのソ連共産主義に強い影響を受けた組織経営、

経営者らの思考上の癖に触れたことは、興味深い経験だった。

 

ロシアで経営セミナーをした時、覚えているのは、

 

私の提言:【「組織を、人の集合体」】という考え方でなく、

【「仕事の集合体」と考える】が理解されなかったことである。

 

セミナーが終わってEBRDのロシア人職員らと食事を共にした時も、彼らは、「そんな・・? どうして?」という感じで、笑い出すのである。

 

彼らのこの認識は、重要な示唆を持つ。

 

つまり、ロシアでは、「全ての組織は、自分を含めた人のために存在する。」 

 

日本人の視点から見ると、基本的に「自分勝手に歯止めはない。」とさえ見える。

 

最初の議論に戻ると、「人の集合体」との認識ならば、組織内の嫌な人のためには、気持ちをいれないで仕事をする。ある人が嫌いであれば、その人とは、接触を避けるような現象があちこちで起きる。

 

つまり、人の壁が、あちこち組織内にできて来るのである。

 

しかし、仕事の集合体であれば、仕事そのものに集中する。

次のステップの仕事のために、自分の責任を果たすのである。

 

仕事の流れの維持が、人の壁に優先する。

 

工場労働者なら、上司のためでなく、

次のプロセスの仕事に役立つように、自分の仕事をする。

 

 

ロシアでの経験で、理解されたことは、ソ連時代は、人の「属性基準」で運営されていたように思えることである。

 

法治(国家)ではなく、人治(国家)である。

(人が変わると、全てが変わる。)

 

このYouttubeは、米国人が共産主義を敵視する視点でのまとめだ。

 

 

キリスト教で言う [神] の概念が、共産主義にはなく、共産主義では、倫理がないと説明しているが、日本人から見ると、倫理は、「神がなくとも、お互い様」で十分である。

 

アフリカ・ケニアでの体験で、現地の彼らに不思議がられたのは、

「キリスト教だけが、倫理を世界に教えている」という彼らの誤解があるためである。

 

マルクス(著書)・レーニン(組織論)の力で共産主義が台頭できたとの事実は、あるだろう。

 

問題は、彼らの著書・主張にある「目的のためには、手段を択ばない」の不健全な考え方であろう。

 

その後の共産主義を信奉した人々の行動を見ると、言葉の力は、極めて大きいと言わざるを得ない。

 

一方、中央集権的な共産主義体制の拡大で、比較的に質の良い教育がソ連全域で提供された。

 

ロシア語、芸術、スポーツ、職業教育で生産性が上がった点があった。中央アジアのウズベキスタンでは、タクシー運転手は、皆大卒だった。

 

しかし、ソ連時代の経営の問題を上げれば、

 

1.リジッドなコンセプトの強制

 

計画経済で、ソ連全域に分業体制を強いた。中央アジアの産業は、遊牧であり、特に産業政策への提案はなかったため、中央からの計画で、タジキスタンは、アルミ工業、ウズベキスタンは、綿工業、モンゴルは、食肉と決められた。

 

タジキスタンにアルミ工業の資源、ボーキサイトがあったわけではない。

 

現場から遠いモスクワで、考え得るコンセプトなので、中央アジアで工場を見ると粗雑な生産体制であり、人が自然に持つ質に対する希求心を育成していない。

 

一方、バレー芸術など芸術指導者に任された分野は、幼児からの学校をつくり、世界のトップを走った。

 

職業教育は、高校レベルで専攻が180種類あった。

 

各々の学生は、2,3の専攻を取るのだが、これだけ専攻が分かれると社会に出てから組織内で意思疎通ができなくなる。互いに相手の専門を理解しておらず、意思疎通が難しくなるからだ。

 

良く言えば、相手に任せ、悪く言えば、擦り合わせをしない手前勝手の仕事になる。

 

(日本の職業高校では、機械工学、化学工学、電気工学、建築土木、電子工学、食品加工、農学、商学くらいである。)

 

専攻数が多く、カリキュラム・マネジメントが大変すぎる。

ここから想像できるように、中央からの現場への指示は、表面的であるが、詳細にすぎた。

 

結果として現場は、

 

     ⇒工夫の余地のない仕事のやり方で楽しくない。

 

2.目的(共産主義)のためには、手段を択ばない。

 

会議でも言葉が少なかったと言われるが、

スターリンによる粛清は、彼への反逆への対策であったが、

私には、余裕のない無能人間がリーダーになったためだと思える。

 

このような人は、狭量で対話できず、理解力が足りない。

 

渋沢栄一は、たいへんなおしゃべりだったようだが、子供の頃から生産現場を体験し、吸収力・思考力があった。

 

他者と対話のできる、比較的に饒舌な人が優れたリーダーになれる可能性が高い。

 

結論を急ぐと、組織マネジメントでは、

 

3.正直な対話ができる体制・組織が、大切だということに尽きる。

 

図は、健全な組織経営を示しているが、上下に情報の流れがあり、組織内で対話できるということが大切である。

 

対話できるとは、Bottom-Up / Top-Down の情報の流れが維持されること。 そして、組織全体にPDCAが回ることである。

 

図下のメッセージ:

「情報の健全な流れが維持されておれば、PDCAがまわり、最少の努力で結果が出るようになるのである。」

 

IMF・経済学者の誤解と怠慢で、多くの国々でおかしな財政政策が実施されている。しかし、共産主義社会の問題は、情報統制のため、正直な対話は、続けられないことである。

 

すると、現場から情報があがらず、どんどん 現場知らずの頭だけの人、演説上手の人が台頭する。

 

すると、組織・社会には、大きなストレスがかかり、出る杭は粛清され、従順な人々は、怠惰・サボタージュが習慣になる。

 

カザフスタンで聞いた話であったが、ソーセージ工場内、機械の横でふらふらと小便するウォッカのアル中労働者達が、ソ連崩壊前の姿である。

 

それを知り、ソ連崩壊前のリーダー:ゴルバチョフは、ウォッカを禁止したが、人々から大きな反発を買い、さらに混乱を招き、やがてソ連崩壊を導くこととなった。

 

4.共産主義を敵視する必要はない。

 

政治行政の目的を国を豊かにすることとすれば、

国全体で政策決定と実施で、Bottom-Up / Top-Down の情報の流れとPDCAを回すことができれば、良い。

 

リーダーとして、現場体験のある広範な理解力(文系理系・組織運営など)が選ばれるようにすれば、共産主義・資本主義の良い点を取り入れた形になる。

 

図は、ロシア、中央アジア、モンゴルなどでの経営コンサルティングの際のスライドであるが、国民・お客様を大切にするコンセプトを入れるものだ。

 

 

図下のメッセージ:

「企業経営は、組織内外の人々の欲望を認識することが大切である。」

 

コンセプトは、簡単だが、頭の固いリーダーは、理解できない。

しかし、マネジメントは、皆が活性化すると、利益が上がり、指導が減り、上位者は、楽になる。

 

共産主義の思考は、国のトップまでストレス一杯で、大変だということだ。米国に Type-Aというベストセラーの著書がある。

 

Type-Aは、他の誰よりも自分の高い能力を信じ、熱心過ぎて、職場で空回りする不幸なマネジャーの例だが、

 

パーフォーマンスは、一時的によくとも、長期には、組織全体にも不幸をもたらすのである。